[コメント] 赤い殺意(1964/日)
10代末期の初見時には、録音が悪いうえに聞き慣れぬ東北弁のせいで登場人物全員が何言ってんだか全然判らず、2時間半もかけて君たちはいったいなにをやっておるのかね、ぼくにも教えてくれたまえよと思ったものだった。これは『にっぽん昆虫記』も同じ。今平は同時録音のリアリティを重視した監督で、同録に関しては先駆者。しかし何言ってんだか判んねえんだもんなあ…
五十郎となって今回観たところでやっぱり録音は悪いし東北弁は判らんのだが、映画を観てきた経験の蓄積が昔とは違うので、まーだいたいこんなこと言ってんなーとあたりがつくようになった。ちょっとした超能力だ。
内容は、まあ… 60年代はこういう怖ろしい時代で、男尊女卑の世の中で虐げられた女性がたくさんいて、男は奪うばかりで女は失うばかりで、しかし魯鈍な女にも魯鈍な女の強さがあって、というこの映画が嘘だとは思わない。そういうのもある社会だったろうと思う。しかしたとえば自殺にしくじった女がこれ見よがしにモリモリ飯を食う、生命力! みたいな描写って記号にも程があるやろ。こういうので「にんげんを描いている!」と感動できた世代のお孫ちゃんくらいなんスよー僕ちゃんは。えっこれが人間を描いてんスかー今村センセーよおー、と若かったオレが思うのも無理はなかろう。これはもうしょうがない。
今村昌平がこれじゃこれなんじゃと叩きつけるように描く「おんな」「セックス」「おまんこ」「性性性」に、たいへんな抵抗があるのもわたくしの本心である。なんせ10代でAV黎明期に立ち会ってるからな、ブルーフィルム世代のエロ事師のエロは全然ピンとこないのである。
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