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[コメント] 山びこ学校(1952/日)

当時の山形の寒村の厳しい生活がまことに厳しく描写され、木村功の素敵な先生の活躍の傍らに、地方で角栄みたいな政治家が力を持つ必然性みたいなものまでが浮上してくる。リアリズム映画の力であろう。教室が凍りつくトンコトンコ節の件が白眉。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







山形県山元村(現在は上山市)は11の部落、その中央に立派な学校。寒村で田圃の収穫は悪く、汁田が開墾され、林業や炭焼きが営まれている。雪山をひとりずつ橇で材木を搬出する映像がある。先生の木村功は牛の出産のあった家の生徒みんなで拍手して喜び合い、手作りの木製三輪車を見て生徒らと木工、女子は片隅で南瓜の鍋作っている。

学校休んで農家の手伝いする生徒がいる。田畑持たない家が何割かあり、その家の子は修学旅行に参加できない。彼等の経費稼ごうと児童らは切り出した材木を背負って山の斜面から斜面を運搬。しかし、生徒の母の本間文子はご先祖様に悪いとは受け取ろうとしない。修学旅行の海辺で真面目な木村は性教育。宿では布団で寝たことねえと畳にごろ寝する子がいる。

村ではおひかり様という宗教が流行っている。炭焼きの東野英治郎は目が悪く、おひかり様拝んだら治るべえかと木村に尋ね、木村は医者に行けと云っている。本間文子は心臓弁膜症に罹り、リアカーで運ばれた診療所で(診療所なのに)、信者戸田春子に、指を三本立てて患部近くでバイブレーションをかけるマジナイをされている。本間の子供曰く、誰も頼まないのに来た、おひかり様拝むと米や麦も沢山取れる、校長先生もそう云った。終盤に「おひかりさま やめて下さい」という貼紙が電信柱に見える。真光教と関係あるのだろうか。

木村の実家の寺で若い教師の寄り合いがあり、木村は学力が伸びない、観念的な教育じゃあ駄目だと云い、児童の議論から、村はなぜ貧乏なのか、学校はなぜ金がかかるのか、ありのままを作文に書かせる。

生徒たちは旅行の後も先生と一緒に、集団で農作業をしている。放課後の部活動などなかったらしい。栗の木の皮を剥いてしまい木村に指導される件があるが、何で剥くのだろうか説明はなくよく判らない。山形県教育組合書記局や児童の母の見舞いに山形市に出向く件、転向と偽って周旋屋に売られる児童の話がある。先生の杉葉子は汽車に飛び乗る。この件がこれ以上追及されないのが荒い印象がある。

みんなの声という廊下の投書箱を設けて披露する保護者参観日、売られた女を揶揄う、みんなでトンコ節を唄いましょうという投書があり、生徒らは爆笑する。このときの木村の造形が颯爽として力があり、引きつるような教室内の空気の描写が素晴らしい。木村は何を唄っているか意味を考えろという。パンパン、働くことの嫌いな女などと声が上がる。木村は、借金返済の東北名物娘売りがまた流行し出した、最近数カ月で200名、実態はもっと多いという新聞記事を読んで、歌の文句考えて唄えと語りかけ、一緒に合唱する。歌詞はネットで見られるものとは違う。♪嫌いで嫌いで大嫌い、死ぬほど嫌いな貴方でさえも、金の力にゃかなわない、泣いて帯び解く四畳半、ねえトンコトンコ。

本間は亡くなり、息子は学校を辞めると云い、学級で助けるんだと生徒らはまた冬支度で働いている。家屋に茣蓙を当てたり、魚の干物つくり、藁仕事。この子たちは働き過ぎではないかという感想も出てくる。生徒たちがガリ版で「きかんしゃ」という綴り方の文集を完成させて、本間の息子はそのなかから、母が心の底から笑ったのは死ぬ間際だけだった、他は泣く替わりに笑っていたのだとサローヤンの名作のような綴り方を朗読して映画は終わる。Wikiによれば、この映画で原作者は地元の恥を世間にさらしたとして、村から追放されたとある(引用元は記載なし)。

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