[コメント] 女中ッ子(1955/日)
しかし、なんと、タイトルロールは、彼女が女中として勤める家(佐野周二と轟夕起子の家)の次男−勝美のことを指しているのでした。つまり「女中ッ子」は「お祖母ちゃん子」と同じような、女中に育てられている子、女中に懐いている子、という意味だったのだ。
いや、それにしても、次男の勝美−伊庭輝夫の演技がいい。口の悪さも、逆に甘えて見せる際も、見事な科白回しではないか。勿論、初期の左幸子の代表作で、彼女の魅力と存在感が、この映画を支えているのは疑いないのだが、それでも、もし、この勝美の演技がマズかったら、公開当時あれほど評価されなかっただろう(キネ旬7位です)。いずれにしても、その他の子役(長男は子役時代の田辺靖雄)含めて、演出部のディレクションの功績だと思う。
また、プロット展開も面白いが、面白いと思いながらも、ちょっと違和感のある演出も目立つ。例えば、初−左幸子と勝美が木に登って、電車、汽車を見るシーン。余りにも高く登るので、観客は多分みんな、降りることができるのか心配になるはずだ(木の形状も高いところにしか枝がない)。それを放置して次のシーンに転換してしまう。あるいは、初と勝美が、佐野周二(勝美のお父さん)から説教されている場面で、話の途中、初が佐野をさえぎり、勝美が雀の罠のところへ行く。勝美が雀を捕まえると、家族が皆、大喜びするのだが、佐野も含めて全員が歓声を上げるのは、茶目っ気のある演出で面白いけれど、ちょっとコントみたいな違和感もあるのだ。
あと、運動会のシーン。導入のダンスから、玉入れ競技、徒競走と7回ぐらい連続でクレーン上昇移動の、ほゞ同じ動きのショットを繰り返したのには驚いた。これって狙いをもってやっている演出なのだろうか。真面目なのか不真面目なのか、判断がつかないようなカメラの動きなのだ。ちなみに、父兄が目隠しして、子供と走る徒競走で、初と勝美が一等になる。その賞品授与場面の劇伴で、一瞬だが「怪獣大戦争マーチ」(時代的に『ゴジラ』のフリゲートマーチ)がかゝるのだ。本作の音楽担当は伊福部昭だが、まさかの使い回し(いや、多分、田坂具隆がこのマーチを気に入ってたんでしょうね)。
他にも、勝美が同級生たちから「女中っ子」と冷やかされ、喧嘩になるシーンの、草の茂る高台での追いかけ合いが、ちょっと長いと感じられたり、初の故郷、秋田での、ナマハゲのシーンも、肌理細かに見せ過ぎて冗長だろう。ただし、私の想像に過ぎないが、田坂具隆が大監督で、権限があったから、好きにできた部分なんじゃないかと思うのだ。例えばナマハゲのシーンの突出ぶりは、冗長と思いながらも、画面の力はあるし、本作の良い点でもあると思う。
そして、初が隠していた奥様−轟のオーバーの顛末は、さすがに、こんな帰結なのか、と思うものだが、なんとも云えない、胸が締め付けられる終息で、これも映画的だと思う。尚、本作も「隠す」「隠れる」等のモチーフが全編描かれている映画と云ってよく、最後にその例をあげておこう。まず、仔犬のチビは物置きに隠される、そのチビのためのご飯、轟の姪−高田敏江と家庭教師−宍戸錠との写真、勝美の寝小便をした布団、佐野の上司(常務)の夫人は最初は顔が映らない(後で細川ちか子と分かる)、上にも書いた、雀の罠、あるいは、目隠しして走る初、チビの行方不明、勝美の失踪、雪の中で穴に埋まって画面から消える勝美、そして、ナマハゲから子供たちが隠れる、などなど。
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