[コメント] 愛妻物語(1951/日)
事実とフィクションの比が7:3の脚本をデビュー作にぶつけてきた新藤兼人は“リアル愛妻家”を披露しきった。で、半生を最初にもってくるというのは、音楽界で言うところのデビューでいきなり「ベストアルバム」「大全集」を出すようなもの。新人にして、もう熟れに熟れて成熟している。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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自分の姿と自分の作品を見せられない妻のための上映会を開きたかったのかもしれない。
映画と格闘する夫を支えた、妻。その妻が死ぬ。そしてその夫が妻との日々を、愛妻物語として映画作品として妻の輝きで梱包する。映写機からスクリーンにあたる光。その光が座席に移り今来たスクリーンを見る構図を演出し、その光すなわち妻に対しての上映が行われ、夫の「ありがとう」の言葉が座席に振動となり伝わり妻の心に到達する。
その、出世した姿と妻を再会させる瞬間が今なお続いていることに、「愛妻」ということばの意味の大きさがわかる。また、自分がここまでこれたことに対して真っ先に報告したい相手というのが、この世に居ないとなれば映画として報告しないといけないし、それをしたから新藤兼人が新藤兼人として君臨し続けられるのだ。
2003/7/27
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