[コメント] ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984/独=米)
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監督は、いわゆるニューヨーク派と呼ばれるかつてのジャンルを最も強く受け継いだと言われるが、登場人物は極力減らし、アクションを排し、語りと雰囲気で話を持って行き、その中で「私は誰?」を問いかけ続ける。本作なんかは典型的なニューヨーク派の作品と言えよう。
ただし、それが単に模倣にとどまらないところに監督の才能がある。他のニューヨーク派の監督と較べても、ジャームッシュは格段に間の取り方が巧く、その間の取り方だけで笑いに持って行けるという一種天才的な才能を持ってる(日本でも松本人志がこれに近い、空気感を笑いに出来る人だが、さすがに映画になると…)。その才能に賭けて一本映画が出来るか?というチャレンジで作られたような作品だったのが、見事にそのチャレンジは成功。素晴らしい雰囲気を持った作品に仕上げることが出来た。
本作で描かれているのは本当に他愛ない話だ。2回にわたるボーイ・ミーツ・ガールと、それに伴うだらだらした時間。別段劇的な展開もない。「こんなので映画になるの?」というレベルなのだが、特殊なシチュエーションと内省的なキャラのお陰でちゃんと観られるものに仕上がってる。
シチュエーションの良さというのはいくつかあって、一つにはまずこれがニューヨークであると言うこと。多分これが最大。それこそニューヨーク派の監督達が作った諸作品や、それとは距離を置いているとはいえ、やっぱり内省的な作品を作るウディ・アレンのお陰で、“ニューヨークはこの雰囲気が似合う”という先入観を持たせることに成功してる。他の都市だったら駄目で、ニューヨークというのがまず重要だったのだ。場所をここにすることで、本作は「こんなだらだら作ってるけど、許せるよね?」というエクスキューズを手にしている
そして第二に主人公が移民であるというところだろう。10年前にこの街にやってきて、それから小銭を稼ぎつつ、それでもちゃんと生きていけている。丁度おのぼりさんが東京にやってきて、大学生活を送るうちにだんだん駄目になっていくのとシチュエーションはよく似てる。日本では『青春の門』(1975)という、見事にステロタイプなおのぼりさんを描いた映画がある。近年でも『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2007)というのがあるので、この辺世界規模で若者がやってることは変わらないという安心感を持つというか…。かつて持っていたアイデンティティが都会暮らしですっかりすり減り、かといって新しい確固たる価値観も持つことが出来ずにいる。そしてそれが出来ないことに安心感を覚えてしまっているという部分。自分の世界に閉じこもっているので、積極的に外の世界とつながりは持とうとしないけど、やっぱり人恋しい。だから従妹が来るとなると、鬱陶しいが80%で、何か期待する部分が20%くらいあって、そわそわしてしまう。その辺を共感出来るように作っているから。
この二つが組み合わさることでこの作品はかなり特異な領域に入り込んだ作品となってる。物語は何が起こるわけでもなく、のんびりと展開しているのに、観てるこちら側のいたたまれなさが極めて高く、結果非常に精神的には疲れる。
正直、この作品の据わりの悪さというか、居心地の悪さは半端無く、時折自分自身に跳ね返ってくるから怖い。時に転げ回りたくなるような痛々しさを感じさせてくれる、相当に貴重な作品でもあり。この領域に達してるのはウディ・アレンの何作かか、エリック・ロメールの諸作品、日本では『リリイ・シュシュのすべて』(2001)あたりだろうか?いずれにせよ非常に貴重な作品の一つだろう。
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