[コメント] スリ(1959/仏)
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プロのすりたちの様子をドキュメンタリー・タッチで描いたブレッソン監督の傑作。あたかもゲームのように他人の財布をすり盗るすりの手腕に、丁度当時のフランス映画らしくヌーヴェル・ヴァーグ的な手法を組み合わせた作品で、実に興味深い。すりとはそもそも犯罪なので表に出すことがあってはいけないが、それゆえにこそ人には見せられない、見せてはいけない手腕を磨きに磨き、鮮やかに財布をすり盗る描写の対比がすごい。
これは一種のゲーム中毒に似ている。実生活ではまったく冴えず、むしろ人目を避けて生活しながら、一旦非現実の世界に入り込むと、そこで彼はヒーローに早変わりする。それを繰り返すうちに、人には言えない裏の生活の方が充実してしまい、そこからどっぷりと漬かってしまって抜け出せなくなる。人に言えないからこそ、背徳めいた冥い喜びがそこにはある。
それでもミシェルはいったんはそこから足を洗えたのだ。まだ彼は母親と言う現実との接点を持っていたし、母に対し済まないと言う思いもあった。それが更生の道を歩ませることになるのだが…
ここで物語の巧妙さが出る。
止めたとしても、中毒は治らない。ましてや楽しそうにそれをやっている仲間がいるなら。後ろめたいことをやってる人間は同族に対する嗅覚が異様に鋭くなる。ミシェルがスリグループと出会うのは、いわば必然的な結びつきあいだった。
こうなってしまうともはや後は止めようがない。転がり落ちるかのように転落していくだけだ。
若者がなにがしかの中毒になってしまい、そこから逃れられない。という形は、やはりヌーヴェル・ヴァーグによって始まったのだろうと思うが、その最初期に、その基本形が出来上がったことを見るのもなかなか興味深い話だ。
充実したスリの行動と、味気のない現実の対比。これをコントラストをつけることで、どんどん落ちていく若者の必然性が描かれるようになる。まさしくこれはヌーヴェル・ヴァーグの時代だからこそ可能となった物語展開で、それをブレッソン監督は最大限に活かしてみせたわけだ。時代が生んだ傑作と言っても良いだろう。
スリのシーンの見事さは現代の目で見ても鮮やかで、それがうまく機能してるし、役者が素人だというのもリアリティに貢献している。
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