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[コメント] 日本の青春(1968/日)

新安保前の自衛隊を巡る激論なのだが、両論併記にとどめて生温くも奇怪な仕上がりになっている。作者は劇映画にも放送法第4条が適用されていると勘違いしているのではないだろうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







戦中と戦後の往還で映画は進む。三つ編みのアラタマが受け取る赤紙は藤田まことではなく田中邦衛宛。藤田に向かって問う「俺たちを幸せにする代わりにこない惨めにさせる国家って何や」。現在はベトナム戦争の新聞記事見ても何も感じないのは何故だとナレーターの三島雅夫が絡む。町でベトナムに平和をの署名活動と右翼の街宣が記録されている。

バスの待ち客の列に割り込む男をインテリの左翼教授は見て見ぬふりをし、自衛隊員が捕まえて謝らせる。進路に迷う藤田の息子で学生の黒沢年雄は防衛大学校を尋ねて食堂で学生たちと激論。「殺人を教えるところでしょ」と問い、「国家とは愛国心についてどう思うんだ」と問い返される。学生は「厳しい規律に身を置いてみたかった。スキッとしたね」と語る。この議論に纏まりがないのが詰まらないところだ。

恋人の酒井和歌子は報告を聞いて「まやかしよ」「自分の不安を紛らわすなんて暴走族と同じ」「反動」と感想を語るのだが、この科白は防大生にぶつけるべきだったろうし、そこから対話がどう展開するかを絞り出すべきだっただろう。そうしないのは逃げている印象が残る。藤田家では妻の奈良岡朋子がこの進路を気に入り、藤田が「あいつが兵隊になっていいのか」との問いに「卒業したら将校でしょ」と応じる。

収束もこの話になり、数々の回想で反戦の意思を固めるに至った藤田は黒沢に「防大だけは困る」と伝える。黒沢は「父さんの苦い思い出だけでは現実は解決しない」と応じ、藤田は「そうは思わん」と云う。川岸で黒沢とはしゃぐ酒井は最後に「でも防大だけは絶対受けないで」と云って映画は終わる。まさに両論併記で、どっちもアリの収束と思われた。この見取り図が重要ということだったのだろうか。そうかも知れないが、なまくらな印象が残る。

藤田はアラタマと再会し、彼女の亡父の研究を紹介して兵器会社の佐藤慶にも再会、彼は藤田の元上官で藤田の片耳に障害を残す怪我をさせていて、佐藤は「謝りはしない。その時々の道徳に従っただけ」と開き直る(佐藤の娘が酒井和歌子というのは通俗過ぎる)。佐藤はアラタマの特許を防衛庁に売り込み、アラタマも従ってしまう。

その他、藤田がビラで知った名古屋空襲に突入して徴集を遺棄しようとして止める件とか、田中邦衛の墓参りでのアラタマとの再会とか、奈良岡の嫁と寄り戻すとか、ここでもうエンディングかと思わせる件が連発され、いくつもの結論が錯綜し、馬の小便のように終わらない映画という印象。三島雅夫のナレーションが喜劇だけ参加して悲劇では黙るのも、それはそうなんだろうけどいい加減な印象が残る。

こういうセンシティブな作品は、どこまでが原作通りでどこから映画の創作が入っているのか、たいへん気になる処。タイトルは「「どっこいショ」より」とあり、ひとつエピソードを挟んで学徒動員のフィルムにタイトルがかぶさる。

はぐれ刑事系造形の藤田は当時からいい哀愁がある。アラタマは印象薄く、奈良岡が印象深い。ベレー帽かぶった花沢徳衛の発明家はイマイチ。酒井和歌子は最高である。冒頭と収束の駅は京王井の頭線吉祥寺駅。

(評価:★3)

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