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[コメント] 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974/日)

脚本家なんてのは、マドンナ=吉永小百合で一定の集客が見込めるとなると、他の部分で実験してみようてな計算をするものかしらん。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 歌子から、津和野に何しに来たのかと聞かれた寅は、俺は旅の途中よと答える。「旅の途中」、つまりは寅さんシリーズという長い旅路の、中継地点という感じではあるのかな。

 本作はタイトルこそ「恋やつれ」だが、寅がほとんど恋愛に絡まない。絹代さんとは惚れた腫れたではないと、台詞にあったし、そもそも寅が一目惚れするご容姿でない。歌子さんとも、恋心は心の底に抑えて、むしろ彼女の身を案じる、境遇を心配するという立ち位置だったと思う。旅の売人と、堅気の人との心の在り様の違いを、彼はすでに知っている。寅も少しずつ成長するのである。

 その代わり、本作では、親と娘の和解とか、女性の自立みたいなことに焦点が当たっていた印象だ。

 でも、歌子と父親の再会と和解のシーン、僕には安っぽいお涙頂戴劇にしか見えなかった。博の台詞に「会いさえすれば解決する」とあって、実際にその通りになるが、そんな理屈はないと思う。だって、一緒に暮らしていて、合わなかったから、出て行ったんだから。博と父の関係だって、そんな単純なものではなかったはずなのに。博は、成長どころか退行してやしないか。

 まあ、こういうのが一定の割合で訴求力を持つシーンであることも確かなのだろう。いずれにしても、寅が役割を果たしようのない話。せいぜいきっかけとして、寅が父親のところに乗り込んで、ワシントンだかナポレオンだか飲み干したことになっているが、これもあまり冴えたシーンではなかった。

 ラストシーン、伊豆大島からの歌子さんの手紙ナレーションに被さって、映像では、一人の男が車から降り立つ。歌子さんの希望が、早くもかなえられたかと思いきや、寅の訪ねたところは島根の絹代さんのところだった。大島はフェリーに乗って、そこを目的地として行かなければ行けないところ。そう、寅は相変わらず、旅の途中なのだった。

75/100(19/01/12再見)

※初見は10年ほど前と思うが、★4つつけてた。当時、感想を残してないので、どう感じてたのかは分からない。

(評価:★4)

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