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[コメント] 男はつらいよ 寅次郎真実一路(1984/日)

寅のお定まりの啖呵売が、珍しく話の中で生きた作品。「四谷赤坂麹町。サラサラ流れる御茶の水」おい、その先を言っちゃダメだよ!みたいな。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「粋な姉ちゃん立ちションベン」は言わずに、そんな辺りに家を構え、車が迎えに来る(ような社長の身分にいつかなる)と、寅はスッと交わした(ホッ)。

   ☆  ☆  ☆

 本作の舞台となった1984年と言えば、プラザ合意の前年。この後、日本経済はバブル景気の道を歩む訳だから、大手証券会社を辞めさせられずに済んだ富永さん(米倉斉加年)とその一家は、ほんの数年後、わが世の春を謳歌したことだろう(土浦営業所−おそらく支店に昇格−でも多忙を極め、また家族を省みない生活に戻り、夫の心の病根は深まったかもしれないが)。

 この頃、日本社会は、「ウサギ小屋」に住む労働者が、朝から晩まで「働きすぎ」であるなどと、その社会経済の在り方が異質だとの批判を欧米諸国から受けていた。本作は、ただ「忙しい」「不景気だ」に過ぎなかったこれまでの景気認識に比べても、そうした同時代の社会問題を反映した作りになっている。もっとも、所詮はドタバタ喜劇の寅さんでもあり、その問題に「取り組んだ」訳ではなく、ただ「取り上げた」に過ぎないとは言えようか。「自然豊かな」牛久沼の自然も、映画で見る限り、柴又の江戸川土手とさほど変わらない。だとしても、家族の在り方が犠牲になっており、それを誰も疑問視しないという日本人の姿が描かれ、同時代にしては、なかなか本質を突いたのではないかと思った。意識してかせずにかは知らないが。

 本作は、久々によく笑わされた、という感じがある。また、いくら大原麗子が甘い声で「寅さん、つまんない」とか、「寅さん、一緒に来て」(←言ってない)とか、「寅さん、好きよ」(←これは前回)と言ったところで、所詮は人妻、寅に付け入る隙はないとの風情はしっかり出ていた。人妻と知りつつ横恋慕し、その夫の死さえ願う自らの心の有り様を、「汚い」「醜い」と自己批判する「無法松」テイストは、確かに要らんっちゃ要らんのだが、面白いからいんじゃないか。

  Θ Θ Θ

 あんたの作品評価はマドンナの好みを反映してるだけだろうと言われてもグゥの音も出ない。ただ、本作の大原麗子は、登場シーンからやつれた感じがあった。後半は、夫の失踪による心労という風情とマッチしていたが。ちょっと心配になった。

80/100(19/6/16記)

※尋ね人は九州にいたのに、北海道にいるとか適当なこと答えた「小岩の拝み婆ァ」とやらに、今後、ものを聞くのは止した方がよかろう。

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 東京証券取引所の場立ちの熱気を記録した、これが「寅さん」であることを思うとさらに貴重というか珍しい感じの作品。地下鉄千代田線は常磐線(当時はJRではなくまだ国鉄か)に乗り入れているので、牛久に家を買うてのはリアルな設定だなとか思いつつ、茅場町(取引所のある兜町の最寄駅。今でも大手・中堅証券会社の本社・本店が多い)にはやや遠いし、北千住か上野で乗り換えるのかな?と思って見ていると、富永課長(米倉斉加年)はなぜか東京駅を利用している???てなあたりが気にかかる訳だが、まあいいか。サラリーマンが鬱になって(?)朝家を出たきり会社に行かずに失踪しちゃうというのは『相合い傘』(第15作)の兵藤パパと同じパターンだが、今回は寅が引き金になっている(?)あたりが違いかな。しかし、妻が大原麗子でも鬱になるものだろうか。兵藤パパも娘が早乙女愛だったけどな。いずれにしても、とらやに現れた課長さんを牛久に送り届けたあと、なかなか帰宅しない寅を「何やってんだ」なんて面々が心配する中、さくらだけが「お兄ちゃんは帰ってこないと思う」。そう、寅はマドンナにフラれると旅に出る。やっぱ寅を一番わかってんのはさくらだよなー、というシーンでした。

 本作が分岐点とか分水嶺とかいうわけではないと思うが、初期の頃は渥美清が車寅次郎を演じている感じだった。←当たり前にしか聞こえないと思うが、渥美清なる役者さんが自らの引き出しから各種要素を取り集めて寅次郎のキャラクターを形づくっている、という感じ。何と言うか、着ている服(寅次郎というキャラクター)より渥美清の方が大きく、服はパンパンな感じ(←わかるかなあ)。でもいつの頃からか、寅次郎のキャラクターの方が渥美清より大きくなってしまって、服がブカブカな感じに(←わからないだろうなあ)。筑波山の参道で本職の(?)ガマの油売りが油を売っていたけれど(←言葉どおりの意味)、素人耳にも彼の口上の方が明らかに上手い。比べると、寅・渥美の啖呵には物を売ろうという気構えがほとんど感じられない。ただ朗々とそらんじているだけ。もちろん渥美にテキ屋経験がある訳でも何でもなく、少年時代にストリートで聞いて覚えた口上を再現しているだけなので、当然と言えば当然なのだが。最晩年は、病と年波から、快活な寅次郎を演じることができなくなっていた渥美清。だがそう考えると、いずれにしても寅次郎を演じることは、年々難しくなっていったに違いない。

(22/6/4 BS見)

(評価:★4)

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