[コメント] 男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986/日)
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細かいところの設定に違和感を覚えることが多かった。最初の邂逅シーンで、小百合=美保(志穂美悦子)が、寅(渥美清)の顔をなかなか思い出さない、とか。この特徴ある四角い顔を。一座にとっては、「車寅次郎大先生」みたいな存在だったのに。また、座長が死に、その娘は父の看病をしてたのだとして、一座の他のメンバーの行方が描かれないのは悲しいし、美保と接点すらないようであるのは変だと思う。美保にしても、二十歳前後の家出娘でもあるまいし、寅を頼りに上京したのに、とらやには電話するだけで、姿を現そうとしないのは変。健吾(長渕剛)との出会いのための設定であることが見え見えだ。さらに言うなら、強烈な九州弁を喋っていたが、小学校を50回(!)も転校したという生い立ちと整合しないし、そもそも実の父親を亡くしたばかりに見えない。大体、本シリーズでは、葬儀シーンなんかも多い割りに、死んでいなくなった人間の扱いがすこぶる軽い。
満男(吉岡秀隆)がモテモテなのも意外だった。まあ、それはいいのだが、江戸川土手で「向こうの方が(千葉の)市川だよ」なんか解説してたりして、そんなこと地元の中学生同士じゃ当たり前だろうと思うが、どういう設定だったのか。
寅も、特に美保には惚れてないという設定のままで良かったと思う。美保に健吾を追わせておいて、がっくり肩を落とすという芝居なんか、とってつけたように見える。
長渕のシーンは、下宿で美保を押し倒すシーンにしても、とらやへ美保に謝りにくるシーンにしても、ぎこちなく感じた。長渕の演技力の問題というよりは、演出家が彼の個性を扱いかねたように思えたのだが、いかがでしょうか。渥美とも会話のテンポが合ってなかったような。
かとんぼのように細身の長渕と、骨格からしてがっしり見える志穂美は、これでなかなか似合いのカップルには見えました。
75/100(19/7/6見)
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