[コメント] 上流社会(1956/米)
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1956年のニューポートが舞台設定のようですから、サッチモは「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演するんだと思うんですよ。実際、1958年の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」=『真夏の夜のジャズ』にもサッチモは出演してますしね。
まさか、『真夏の夜のジャズ』の裏でこんな恋の鞘当てが行われていたとはね。 ん?でもこの映画の元は『フィラデルフィア物語』なんだろ?16年も経つと、高級住宅街はフィラデルフィアからニューポートに変わるのか?まあ、いいや。
5年しか女優をやってなかったクール・ビューティー=グレース・ケリー最後の作品で、本当に上流社会に嫁入りしてしまう直前の、27歳頃の超絶美しいお姿を拝める一品。
いやもう本当に美しくて、俺がフランク・シナトラだったら緊張して口説いたりできないね(なぜお前がフランク・シナトラ目線なんだ?)。 そんなわけで『上流社会』というよりも、「上流の女を巡る凡庸な男どもの物語」に見えちゃった。
しょーもない話だし、ミュージカルとしての高揚感も薄く、グレース・ケリーの美貌しか印象に残らなかったというのが、申し訳ないけど正直な感想です。
「ハイソサエティー」という単語が当時日本にはなかったんだなぁとか、当のアメリカ人ですらハイソが何かを理解してない気もする。だって、上流社会そのものがドラマの核じゃないもの。ドラマの核はシャンパン(スパークリングワイン)飲みすぎたこと。そして本当に上流社会の人が飲む一流の酒は、そんな悪酔いしない。
いや、真面目なことを言うと、50年代半ばのアメリカは「貧富の格差」があまりなかったんですよ。分厚い中間層が世の中のほとんどで、上流階級はほんの一握りだったんです。 そうすると何が起きるかというと、「やっぱり上流社会は違うね」ではなく、「上流社会と言っても我々と変わらんじゃないか」というのがこの映画の根底にあると思うんです。
(2022.05.07 ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞)
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