[コメント] タクシードライバー(1976/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ニューシネマの大きな特徴の一つとして、誰しも人は悩むものだ。という当たり前の事柄がある。人は誰しも自分の行った行為を後になって「ああすれば良かった。こうすれば良かった」と悔やみつつ、同じような失敗を繰り返す。それで効率よくなってくれれば良いんだが、そうなれない不器用な人も世の中にはいるものだ(こんなことを書いている人間も含め)。
それだけでも映画は一本作れる。だが、スコセッシ監督はそうはしなかった。答えのでない悩みではなく、極端な意味での回答をここで与えたのだ。
主人公のトラビスは、ある種の負け犬だった。何をやっても上手く行かないし、それが何故駄目だったのかも自分で理解することも出来ない。いくら反省しても、直すことが出来ないのだ。だが、直すことではなく、どんな極端なことでも、今までやったこともなかったことをやることで目的を転換した…普通だったらこれは単なる通り魔犯罪者で終わってしまうし、事実そうなりかけたのだ。仮にあの大統領候補襲撃シーンで本当に銃を抜いていたら、それで全て彼の人生は終わっていた。だが、それは本当に“偶然に”回避され、同じベクトルで人殺しをしてるのに“悪を倒すスター”としてもてはやされるようになる…何とも皮肉な話でもある。ほんの偶然の差によって、彼は全く違う評価を受けることになるのだから。
NYという街の中、ほんの一握りの成功者がいる中、そうなりきれない無数の人間がいるのだ。と言うことを明確に示したのが『真夜中のカーボーイ』(1969)であるのなら、そのどちらも描いて見せよう。と言うのが本作の最大の特徴では無かろうか?そう考えると皮肉なものだし、その皮肉さこそが本作を名作たらしめている部分なのだろう。
狂気を演じさせたら定評のあるデ・ニーロが見事に本作でははまり、あのモヒカンカットの姿と共に忘れられぬ名演ぶりを見せているが、少女娼婦役の(現代ではこの描写は徹底的に避けられる)ジョディ=フォスターが又良い役を演じている。私は冥い目というのにもの凄く惹かれるんだけど、この時代のフォスターは間違いなくそんなオーラがあった。
本作で忘れてならないのがバーナード=ハーマンによる音楽だが、撮影後程なくして死去。クレジットに「われわれの感謝と敬意を捧げる」という謝辞が加えられる。
脚本はポール=シュレイダーによるものだが、本作は彼自身が批評家時代に書いたもので、彼自身の企画で製作が決定された。当初監督をロバート=マリガン、主人公をジェフ=ブリッジスにする予定だったが、マリガンを嫌っていたシュレイダーが反発し、『ミーン・ストリート』のトリオだったスコセッシ監督、デ・ニーロ、カイテルをそのまま推薦。これがうまくはまった。
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