[コメント] 野性の少年(1970/仏)
トリュフォー生誕90周年上映でいまさら初鑑賞。ビックリした。『クレイマー、クレイマー』じゃん!
音楽が『クレイマー、クレイマー』だったんですが、結論から言うと、ヴィヴァルディの「マンドリン協奏曲・ハ長調.第一楽章」という既存曲だったんですね。無知で恥ずかしい。
でも偶然の一致なのかな?
当時アメリカで深刻化してきた離婚問題を(たぶん初めて)正面から取り扱った『Kramer vs. Kramer』は「同姓での対決=離婚裁判」を題材にしていますが、日本では(あるいはどこの国でも?)「フレンチトースト」の印象が強い映画なわけです。言い方を変えると「不慣れな父子家庭」の物語。この『野生の少年』もまた、見方によっては「不慣れな父子家庭」に見えるのです。まあ、メイドさんがいますけどね。
冒頭でジャン=ピエール・レオへの献辞があるんですが、『大人は判ってくれない』との因果関係の示唆、いや、ある意味『大人は判ってくれない』の続編的意味合いがあるように思えます。
家出少年フランソワ・トリュフォーが改心したのは、15歳頃に出会い親子同然に世話してくれた映画評論家アンドレ・バザンのおかげだったそうです(『大人は判ってくれない』はアンドレ・バザンへの献辞がある)。『大人は判ってくれない』は「どうしてこの少年が不良と呼ばれるに至ったか」「不良少年とよばれて」のお話しで、更生する話は描かれません。この『野生の少年』は恩師と出会い、社会性を帯びていく話に見えます。「アントワーヌ・ドワネル」つまり素行の悪かったトリュフォー少年を「野生の少年ヴィクトール」に見立て、恩師との出会いが自分を変えてくれた・・・という自伝的要素をこの実話に投影しているように思えます。
実を言うと、この直後に『大人は判ってくれない』を再鑑賞したのですが、判ってくれない大人たちが非常に感情的なんですよ。両親も教師も常に怒っている。そして突然急に甘やかす。DVの典型。ところが本作でトリュフォー自身が演じる博士は冷静で、辛抱強く、決して感情的に怒ったりしない。教育は感情ではないのです。もしかすると、トリュフォー自身が演じた博士は、自分を辛抱強く見守ってくれた「恩師」アンドレ・バザンをイメージしたのかもしれません。
そのせいかどうか、この映画全体が淡々とした印象を受けます。野生児の少年は泣いたりわめいたりしますが、周囲の大人たちは怒らない。上述したように「博士と少年」が軸ですが、観客の感傷を煽ったりせずに、冷静に事態を見つめている。余計な「感情」を描写せず。映画全体が感情的ではない。
最後にもう一つ驚いたこと。私は常々「トリュフォーは映画撮るのが下手」と言っているんですが、この映画はメチャクチャ上手かった!(<驚くなよ)
(2022.07.02 角川有楽シネマにて鑑賞)
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