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[コメント] 美しすぎて(1989/英=独)

映画と観客による美の共犯について→
マグダラの阿闍世王

映画では、美男美女が恋をするのが暗黙の了解。映画会社は美人をフィーチャーしてお客を呼ぼうとする。お客は映画会社に美人を求める。共犯関係。

あえて、醜女なのは、映画のタブーへの挑戦なのだが、やはり、アンチテーゼどまり。(たとえ醜女がテーマでも脇役の美女が魅力的ならいい映画なのかしら?)

映画は見たいものが映画化され、見たくないものは映画化されない。 いや、見たくないものが映画化されてもお客は入らない、ということか。

そう思うと、映画は現実社会をすべて映してるとは限らないんだなぁ。となると、「人生の機微はすべて映画で学んだ」っていうのはウソになっちゃう。映画はうわべだけしか映していない。

いやはや、美醜の問題は奥が深い。また考えが変わるかもしれません。

(評価:★3)

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