[コメント] やさしいにっぽん人(1971/日)
断片の大半は各々が短すぎるうえにコントめいていて何が累積される訳でもなく、ただシラケ世代の得手勝手な詠嘆がぶち撒かれたというばかり。皮肉なコメントが必ず末尾につく週刊誌記事の類。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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面白いのは赤ん坊を窓から放り投げる桜井弘子(後に電車で緑魔子の隣席で子育てを愚痴る)、失踪の連絡を赤電話で告げる東山千栄子、河原崎長一郎が襲われたチョゴリの娘を助けると彼女に睨まれる件ぐらいか。しかしどれもここから何が膨らまされて展開する訳でもなく、ただ諦念とともに投げ捨てられる。冒頭の警察官から伊丹十三まで誰も彼も観念的な科白がこなれず自主映画めいているのもキツい。
冒頭に渡嘉敷の強制された集団自決の歴史が語られ、演劇はこれに届くものが創作できるのかという主題が提示されるが、これがさっぱり機能しないどころか機能させる気もなく、と云って機能不全の不可避性を炙り出す意欲もなければ諦念を悟達に反転させる才気もない。ただシラケ世代の無能さを自らゲロしているだけだ。遺児である河原崎は当時赤ん坊で事件を覚えていない、というイロニーは諦念のアリバイづくりとしか思われず、地道に過去を遡る在野のドキュメンタリー作家の努力をシニカルに笑っている具合で不愉快。そんなに諦めるのが好きなら映画など撮らなければいいのにと思う。
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