[コメント] 砂の器(1974/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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松本清張の推理小説の多くは、名探偵や怪盗は登場せず、捜査員の地道な捜査が延々と行われ、途切れそうな細い線をたどっていくうちに事の真相が見えてくる。という特徴がある。一見これは地味な作風に見えるのだが(事実明らかに手を抜いた作品だと、地味なまま終わるのも結構ある)、これは捜査そのものを主眼とするのではなく、被害者や加害者の姿を通して日本の暗黒部分を探ろうとする努力がそこにはある。我々一般人が見ることが出来ない歴史の裏側や、この時代にあってこんな悲惨な人間が実際にいるのだ。という事を示す。そのためにどれだけ多くの人に話を聞いたり、資料を探しただろうか。と裏を見るのが楽しい作品でもある。
本作の場合も基本は同じで、捜査自体はとてつもなく地味。ただし日本各地を巡りつつ、被害者像と加害者像を結んで行くうちに見えてくる情景がある。ここではそれがハンセン病という形を取るのだが、地道に地道に、しかし少しずつ明らかになっていく患者の辛さや、だからこそ堅く結びついていく親子の情愛などが見えてくる構図となる。
本作の捜査員は決してスーパーマンでもなければはみ出し刑事でもない。足を使ってひたすら聞き込みを続けるだけの、実に地道な人物。だから物語にメリハリが無く、だからなんか流して観ていると、延々代わり映えのない捜査を続けていくだけ(途中にちょっとしたお色気などを含めつつ)。だから、敢えて言えば結構退屈な作品でもある。その中で暑い中全国を回り、その情景を観る位がメリハリかな?勿論オールスター名優が次々に登場するのも見所ではあるが、物語にしても最初から胡散臭い人間として登場する加藤剛が、やっぱり犯人になってしまうと言う非常に単純な構造で、なんの驚きもない。
…そんなこんなで、なんでこれが名作?と思いつつ観ていたら、最後でキタ。
本作が大作と言われる本当の意味はラスト30分以上にわたる交響曲「宿命」の演奏シーンで明らかにされる。和賀が自分の出生を隠す理由は、小説の中では僅か数行しか書かれていないのだが、それを思い切りふくらませ、ハンセン病の父を持ってしまった子供時代の悲しき思い出と親子の情愛を、オーケストラの演奏に合わせて展開されるその物語。 ここに関しては、本当に圧倒的な迫力。ラスト部分はビデオでさえ泣けたが、これを大画面で観られたら至福の思いに至っただろうとさえ思える。機会あれば、これを劇場で観てみたいものだ。この迫力は気軽に観てはいけないものを感じさせられる。
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