[コメント] 白熱(1949/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ギャングを扱った映画は多々あるが、その中で割と定番となるキャラが存在する。凶悪な犯罪者集団の中にあって、子どものような顔をして、実はとんでもなく凶悪なキャラクターである。元々実在のベビーフェイス・ネルソンという人物がいたからだが、この存在は映画映えするので、手を替え品を替えてこの手のキャラクターが登場する。だけどそれが定番になるためには、なによりそのベビーフェイスっぽさを体現する人物がいたのが重要。
ジェームズ・キャグニーというキャラクターはまさにベビーフェイスそのものとも言えるキャラで、彼の存在がギャング映画の新境地を開いたと言っても良い。キャグニーはダンサーとしても演技派としても一流の役者だが、最大のはまり役がギャング役となったのは、まさしくこのギャップこそがはまり役を作っていたのだろう。
かつて『民衆の敵』(1931)で女性の顔に半分切りしたグレープフルーツを押しつけることで大いに湧かせたキャグニーだが、本作でも片手に持ったチキンにかぶりつき、咀嚼しながらもう片手に持った拳銃で人を撃つ描写は後のいくつもの映画でリスペクトされている。
それはキャグニー自身もよく知っていたようで、本作のコーディの造形はキャグニー自身による脚色が入っているそうだ。マザコンでヒステリックなキャラをキャグニー自身が提唱したと言われている。お陰でとてつもないはまり役になった(本人はギャング役に復帰するのはあまり乗り気で無かったという話もある)。
そしてもう一点。この作品は映画史に残したものがある。
それは物語の主人公がイカれていてもちゃんと物語が成立するというもの。
この作品が作られるまでもいくつもの犯罪映画があり、中にはかなり暴力的な主人公も存在したが、基本主人公は理性的な人間を配していた。イカれた存在は主人公以外が演じるもので、主人公はいやいや、若しくはそんなイカれたキャラを利用する立場に立つことはあったが、本人がそういうキャラを演じるのはこれまでは遠慮されていた。実際『民衆の敵』でのキャグニーも相当イカれていた感じはあったものの、ちゃんと理性的な振る舞いもちゃんとしていた。
しかし本作を境に、そのようなキャラを主人公が演じても良いという免罪符が付いた感じで、ここからハリウッドの表現は一気に拡大された感がある。
その意味で本作は大きく映画史に貢献した作品でもある。
改めて考えるに、本作は突出してキャグニーの魅力に溢れてるのだが、ここまでのキャラクターを作れたのは演出のお陰だ。
この作品は当時のギャング映画を基本踏襲しており、起伏の箇所が概ね予測できるようになっている。どのタイミングで危機が起こり、どこで裏切りに遭う、というタイミングは大体分かるのだが、そのどのタイミングも外連味がたっぷりあふれてる。キャグニーが登場する度に、そのマザコンっぷりサイコパスっぷりで全部演出を取られてしまう。だからキャグニーに対抗するべく多くのキャラは怒鳴り合うし、極端な個性を発揮する。収拾つかなくなりそうな物語をきちんとバランスを取って、キャグニー一人の見せ場にしないようきちんと配慮されてるのがなんとも上手いところである。
とはいえ、ラストの独壇場のキャグニーはあまりにもキャラ立ちすぎ。炎の中ですっくと立ち、「ママーっ」と叫ぶシーンは映画史に残る最高のシーンの一つだ。
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