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[コメント] 青春の門 自立篇(1982/日)

異常性欲とやくざ対在日コリアンという前作の見処は持ち越されず、娼婦やボクシングや原爆症や中絶の話題が纏まりもなくばら撒かれている凡作。風間杜夫の砂川闘争の断片だけが破天荒で面白く、彼主演で撮られるべきだっただろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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佐藤浩市の大学生活に地元の杉田かおるが着いて来る。心機一転の都会生活のつもりなのに、いろんなものを引き摺った彼女の顔など見たくないだろう、追い返したくなる心理は判る。それは詰まらない心理である。映画は佐藤が杉田、桃井と萬屋を通じて、地元を再び理解するまでが描かれるのだろう。それはとてもいい主題だと思う。しかしまるでうまく行っていない。

娼婦話とボクシング話だがボクシングで性欲発散する訳でもない。萬屋錦之助のやくざは前作の若山富三郎と知り合いという処で話はかろうじて繋がるがそれ以上ではない(萬屋やくざが嫌いで『日本侠客伝』降りたと聞いたが、なぜここに登場するのだろう)。なぜか素人の佐藤をボクシングでのしてしまう渡瀬恒彦は、前作のコリアン役と関係がないのが大いに退屈。その他、原爆症とか中島ゆたかの中絶とかの断片は集中力のないつまみ食いに過ぎない。

バイト先のラーメン屋の金が盗難されて疑われて、杉田がヤケッパチに「私が働いて返します」と云ってしまう展開は無茶苦茶。そんなことは口が裂けても云わないものだ。以降、話は中心を失って定型が累積されるばかり。萬屋の死も桃井と渡瀬の心中も安納らしく、ボクシングの終盤に至って厭になった。このスローモーションがダサい。シリーズ打ち切りは当然と思われる。

劇伴にバルセロナ民謡「鳥の歌」のモロパクリのフレーズが何度も使われる。全然別の歌だが杉田かおるのオリジナル曲に「鳥の詩」(80)があるのはどういう関連なんだろう。炭鉱町は杉田の歌声喫茶での工夫の歌の独唱で回想されるが、演出はいかにも外している。

本作は31年の砂川闘争が描写されている。冒頭と後半にデモと機動隊との衝突と乱闘が熱心に再現されており、夜の屋台で有名な赤とんぼが唄われている。ロシア演劇の風間杜夫は砂川闘争に参加し、佐藤の学生証を質に入れ、『狂った果実』の看板の向かいでテーブル兎なる玩具を路上販売し、売血している。風間が主演のほうが断然面白かっただろう。

新宿二丁目の娼館、好きで娼婦やっている桃井かおりの部屋の外から、売春防止法公布広報らしき宣伝カーの放送が流れている。「皆さん、売春防止法が公布されてはや二カ月が経ちました。皆さんが自由になれる日は間近です。間もなくこの汚れきった世界から解放されるのです。皆さんを今のような不幸な境遇に陥れたのは、何事につけ男性を中心にする、こんな社会の仕組みが悪いからなのです。決して皆さんに罪がある訳ではありません。皆さんはまだまだ若くてお美しい。もうしばらくの辛抱です。どうか心まで汚さないでください」このフレーズは事実だろうか。どういう団体が放送していたのだろうか。

(評価:★2)

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