[コメント] トーキング・ヘッド(1992/日)
「メタ映画」というのがジャンルとして成立しているか否かは定かではないが、 劇中劇な手法を用いた作品は多い。この作品もその一つだ。珍しいのはアニメ手法で映画を語る実験だが、それならばアニメでやればいいのに、実写でやってしまったのが失敗の原因だろう。
この作品、やたらセリフが多い。セリフで説明するという手法は、シナリオ技法としては失敗であるが、前提に子供向けというお題目があるせいか、漫画やアニメでは許されているし、逆に過剰解説としてギャグに用いることもよくあるので、硬い評論文章なセリフの多用はそうした意図であろう。人物描写の違和感も、コスプレ要素に満たされていて、実写としてのリアル感を損なっている。そうした「アニメ的な表現」を受け入れられるか否かが、評価として分かれるところだが、アニメ映画のパロディ・楽屋落ちにしか見えなかった私はウンザリしてしまった。メタ構成の甘さも含め、中途半端な知識とイメージをただただ露出する、濫造学生映画の特徴にも酷似してしまっているからだ(私や仲間が学生時代に作った映画と似たようなカットが一杯あったし、要素を物語に再構築する手間を惜しんだ構成もありきたりだった)。
個人的には押井よりも大友克洋の方が好きなのだが、その差は、大友作品が漫画からアニメへの飛躍感を持つのに対し、押井作品はあくまでアニメへの執着に固執している点にある。物語の原作として漫画にオリジナリティ・世界観を持つ大友とは大いに異なる、 アニメ的技巧にこだわりを見せる押井世界は、アニメに無頓着な私には無価値であるし、そんな私には、押井作品は自家中毒しているようにすら思えてしまう。
作中に小難しいセリフをシンプルなアニメに合わせるシーンがある。全編、これでやっていれば、実験としては成功だったのに、それをやらなかったことが失敗の根本原因だろう。「そんな映画誰も見ないのでは?」と反論はあるだろうが、そんな中途半端な目論見は通用しないのだ。実験映画の評価は成功か否かしか無い。ほどほどな実験映画ほど、とほほな作品は無いのだ。
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