[コメント] 蜘蛛の瞳(1997/日)
まずはカッティングについて。例えば鮮かなフラッシュバック−冒頭近くの、哀川翔が娘の発見現場へ駆けつけるショットや哀川が寺島進を激しく殴るショットの唐突な挿入。とてもキャッチさせるフラッシュフォワード−哀川が酒場でダンカンに体を揺すられるショット挿入。あるいは、哀川が寺島に、まだ死ぬなよ、まだ3日じゃねえか、みたいに云っていたと思ったら、すぐに河原みたいなところに埋めている、というような時間のジャンプ。他にも、ダンカン登場シーンの変な切り返し。ダンカンが公園で空き缶をゴミ箱に投げるシーンのパンニングを絡めたカット割り。そして、哀川と佐倉萌の絡み(公園の砂場をぐるぐる回転したり、寝室での佐倉の裸身を哀川がじっと見ていたり)の散文的なそっけない繋ぎ。そっけなさということであれば、終盤の主要キャラがどんどん死んでいく畳み掛けの繋ぎ方も極めてそっけなく無機質な感覚があり、非情さがよく出ている。
これら編集の例は、当然ながら演出と不可分のものだが、画面、撮影の良さについてはさらに演出と分離して語るのは難しい。けれど、良い部分を例示してみよう。まず書くべきは、やっぱり組織のトップ−菅田俊がいる化石発掘現場のロングショットの画面だろう。崖上のロングショット、追いかけ合いをする菅田と哀川を捉えた大俯瞰。もう一つあげるなら、終盤で、森の中を逃げる佐倉と追う哀川を見せる高速の横移動ショットか。いや、大きな道路(大手町辺りのように見える)の歩道を歩く哀川と並走する自動車の中の大杉漣のシーンや、事務所の中でダンカンが段ボールを蹴りまくったり、2つのグラスに酒を注ぐシーンの長回しもある。諏訪太朗の坊主が道路で挟みうちにされる場面や、宣材写真にも使われている湖畔でのバックドロップのシーンもある。しかし、このような分かりやすいスペクタキュラーとは別に、もう一つ特筆すべきは、哀川の自宅での描写であり、この中村久美との各シーンの明度だろう。こゝで、極めてゾッとするホラー演出がある、ということも見過ごせない要素だが、映画が始まってすぐに感じさせられる屋内シーンのローキーの怖さが重要に思う。あとスピリチュアルな描写について云えば、白いシーツのナンセンスさは映画の醍醐味だ。特にラストにこれがあることで、本作の悪夢の感覚が研ぎ澄まされた。全ては夢、みたいな感覚は、前作『蛇の道』以上だ。
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