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[コメント] 私を野球につれてって(1949/米)

ジーン・ケリーの、ダンスによる、manhoodへの挑戦。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 あと数年もすると「・・・三十郎。もうすぐ四十郎だけどな」と言わなければいけなくなる私だが、たまに鏡をじっと見ることがある。自分をきっと睨んで、表情を作ってみたりする。つまりmanhoodの確認だ。指でL字を作って顎に当てる、う〜ん、それはMANDOMだ。どっちでもいい。

 日本人の野球好きは戦前からだと思うが、それなのになぜミュージカル映画の全盛期に野球を描いたこの映画が、(日本で)劇場公開されなかったのか不思議だ。無論劇場未公開の洋画なんてそれこそ星の数ほどあるだろうから、この作品もタマタマその中の一つだったに過ぎないのかもしれない。だが、もし何か特別な理由があるのだとしたら・・・。その理由について考察するのは控える(誰かやって下さい)。

 私にこの映画がどう見えたかを書くことにする。ジーン・ケリーという俳優は、顔もなかなかハンサムだし、体格はたくましいし、じっとしてればこれで結構男前である。だが、にこやかに笑って踊るという行為自体が、どうしても優しげに見えるし、有り体に言えば女性的に見えてしまう。彼の踊りそのものは力強くアグレッシブなのだが、音楽に合わせて感情を表現するという行為は、根本的に女性的なものなのだ(私の偏見かも)。彼自身は、女性的に見えることなど気にせず、楽しい踊りを披露することに徹した作品をたくさん残していると思うが、それでもやはり、それを気にしていたのかな、と思える風もある。

 その現われが、この作品である。ベースボールを題材に採るあたりにそれが感じられる。ベースボールがミュージカルで描きやすいテーマだとは思えないからだ。この場合、ベースボールには、アメリカ文化の代表格、という意味しかない。他にも、U.S.、U.S.が連呼されるなど、この映画はアメリカの文化を描いているのだということが執拗に強調される。彼は、アメリカの文化を描いた映画で主役を演じる必要があったのだ。なぜなら、アメリカ文化とは、(飛躍します)一言で言って”ゲイが嫌い”だから。

 だから、彼の踊りはいつも以上に力強い(ように見えた)し、ホモチックな友人との友情はあっさり裏切るし、彼の好色ぶりは恥ずかしいほど礼節を欠くし、なにより女性の社会進出の意義を否定しきっている(女性に対し理解を示すこと=女性的、なんですね)。

 ただ、結局彼は、フランク・シナトラとのホモチックな友情を最後には回復させるし、物語は終わっているというのにラストを踊りで締めくくるし、最終的には女性的な自分を肯定しちゃってる。観客のニーズを満たそうというサービス精神かもしれんが、本質的に自分に正直な人なんだろうな、と思いますね。

 つまり、manhoodを踊りで描こうとするのは、無理がある。

75/100(04/07/19見)

(評価:★3)

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