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[コメント] 銀河鉄道の夜(1985/日)

原書よりよく出来ている。猫の世界なのにスーッと入っていけるこの不思議さ。映画は映像を持つ分、説得力が有った。昔原書を読んだ時に気になっていた箇所が3か所あった。
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







それは、オープニングと牛乳屋とカムパネラルの父だ。映画も各々少し違う処理をしている。

まず、映画の「オープニング」は素晴しい。ゆっくり空から降りて来るものは何だろう?私は、私自身ではないかと考えたが、観る人によって違う、と思う。よく考えられたベストオープニングだろう。一方原書は、先生の言葉、「ではみなさん・・・」から始まっており。誠に素っ気無い。

「牛乳屋」は原書では‘しいんとした’場所で‘ぐあいの悪そうな’老女が‘そろそろと出て来た’だ。変な空気だなと思っていたが、映画でははっきりと‘異様’に描いている。更に「誰か汽車にでも乗るんですか」と原書にないセリフを老女に言わせている。これはもう伏線とみていいのではないか?異様な異次元への旅への。それとは別に、私はこの変な異様なシーンが強烈に心に残り、夢によく出て来ます。

「カムパネラルの父」の登場はラストだ。原書も映画も、自分の子が死ぬ状況の中で、父がジョバンニに「おとうさんはもう帰っていますか」「あした遊びにきてくださいね」と言う。これは全く哀しいけど、こういう場違いな事を言う程、父親は動揺しているという事なのだ。これを言いつつ、「堅く時計を握ったまま」「また博士(父の事)は 川下へじっと目を送った」と言う文も原書にはある。が映画は「堅く握った手」も「目を送る父」も映さなかった。ここは胸に迫る場面なので、少し残念だが、「子供の心象風景」ということで、深入りしなかったと判断する。

だからその代わりに、続くシーンでジョバンニの心の叫びを用意した。原書では「もういろいろなことで胸がいっぱいで、なんにも言えず・・・」だが、映画はそれを、「僕はもう皆の幸せの為なら〜、カムパネルラと一緒に歩いて行きたい〜」と具体的に言って作品を盛り上げている。

原書のジョバンニが言葉にできなかったものを、映画のジョバンニが解きほぐしてあげたという所だろうか。しかし、「もう胸がいっぱいで、なんにも言えない」ジョバンニが、私は大好きだ。

(評価:★5)

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