[コメント] ユナイテッド・トラッシュ(1995/独)
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ドイツ三部作の最終話を飾る海外雄飛編。「自由と価値」(『ドイツチェーンソー大量虐殺』)「他者と政治」(『テロ2000年 集中治療室』)など、現代国家を語る上で欠かせない視点を最高度に抽象化された支離滅裂さで描いてきたシュリンゲンズィ−フだが、此所に来て煌めく無希望と造反無理の国ジンバブエに舞台を移す。国連監視の美名の下、未だ行われる宗主国支配の正統性は、結局我々が我々自身に自問自答する自慰的悪循環に帰するのでは無く、第三世界に於いてテレビなどと共に輸入された自意識の謎めいた過剰により遂には馬鹿馬鹿しさの頂点に達する。相変わらずチープなカメラワークに潜む、ドイツ前衛映画の探究する正面性。正面性は奥行きを画面からだけで無く、遂には内容からも消し去ってしまった。寂寥たるサバンナで開陳さる壮大な遠近法的倒錯。
ハードコア・ゲイの白人国連職員の妻である白人変態女優に受肉したアフリカの希望は、黒人霊能力児というかたちで処女懐胎により産み落とされる。(頭に棒が刺さっていて、そこを擦ることで超能力を駆動している。)新しいアフリカの指導者により、この奇跡は第三世界の意味不明な怨念として帝国主義の象徴たるホワイトハウスに向けたミサイルの原動力として使われる。ある意味、正しく911を予言したこの作品はここでデタラメの頂点を迎え、カタルシス後、母子がジンバブエとワシントンという地政的対極を超越(論)的に統合し、然る後この遠近法的倒錯を背景に出会うラストで観客の感涙を誘いかねない。
意味不明なサブリミナル効果を含め、パロディーになってるのかなってないのか判然としない降誕説など、全体を貫く普遍的馬鹿は新時代の知的誠実さの精神的指導原理である。ファシズム化する民主主義に抗する、無二の映画。
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