[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
世界史を勉強していないわたしも、歴史上の出来事としての「Dディ」を知っている。もしクイズとして出題されたならすぐさま「Dディ」とか「ノルマンディー上陸作戦」と答えるだろう。でもわたしが知っているのは単なる単語だったのだ、といことを今回あらためて実感させられた。他のコメンテーターの方が指摘されるように前半の映像は凄まじい。血で染まる海、吹き飛ぶ手足、撃ち抜かれる身体。悲しくてやり切れなかった。
前半で衝撃を受けたがこの映画はそれだけではないと思う。
アリス・ジャディーンのエピソードは微笑ましくてせつない。ライアンの兄ダンとアリスとの恋を想像してしまうから。ダンの死を知るだろうアリスの存在も、直接的には描かれないけれど、戦争の傷を一生背負うひとり。
生き残った者・残された者の苦しみ、悲しみ。「人生をムダに生きてはいないだろうか」という死ぬまで続くだろう問い。多くの死を背負って生きるということ。過去にあったこと。その延長線上で生きているわたし。多くの死(戦争だけでなく)を経て、わたしがいるということ。直接的ではないにしろ、あの歴史上の出来事の延長線上で今生きているわたしも「ムダに生きてはないのだろうか?」と自問してしまう。
ほとんど戦争映画を観ていない。傑作とされる作品もまだ未観。それらを観ても同じようなことを感じたかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ『プライベート・ライアン』は、今年、一番影響をうけた映画。この映画は、アメリカ側の、ある側面のものでしかないけれど、戦争の凄まじさを再認識させられた。思い返すだけで悲しくてやりきれない。涙がにじむ。どうしてここまでこの映画に影響されたのかもそっと自分で分析しないといけないのだろうけど、これも映画の力なんだろう(・・・無理やりまとめる)。
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