コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ロッキー5 最後のドラマ(1990/米)

図式的とは言え、息子へのネグレクト描写がどぎつく、これそんな簡単に修復できないんじゃないかと。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 前作の好敵・ドラゴとの死闘の再編シーンから始まる。これはロッキーというシリーズの定番と言えば定番だ。

 だが今回は、彼の中で何かが壊れた的なシーンが添えられる。もうこれ以上ボクシングを続けられないというか、リングに上がって殴り合いを続けることへの恐怖感が彼の闘争心を上回ったという描写だった。

 筋書き的には、ロッキーの脳に深刻な障害のあることが臨床的に判明し、このため米国内のリングにはもはや上がることはできない、と思わせる説明描写はあった。だが彼自ら、もはや自分はリングに上がるべきではない、上がることはできないと自覚していた、ということでもあったのだ。

 だからこそ、愛弟子・トミーとの決戦はストリートファイトに結実する。と同時にこれは、彼自身の闘争本能が失われていた訳ではないことも意味する。身内を守る、身内が傷つけられたら立ち上がる、自分が侮辱されたら受けて立つという、素朴で純粋な闘争心。

 そして、殴られても殴られても、倒されても倒されても、何度でも何度でも立ち上がるロッキー。ある意味これは、ロッキーというシリーズにふさわしいフィナーレだったのではないか(この後、もう1作あるようだが)。

 トミーに殴り勝つ、もしくは悪徳プロモーターをブッ飛ばすという結末は、観客をスカッとさせて終わりたいというある種のサービス精神の賜物だろう。でも僕なんかには、どうにもスッキリしなかった。

 トミーという一人の有望な若者を、ただこの結末のためだけに、地の底にまで貶めるという物語設計に、ではないか。

 ポーリーが、最初はむしろ「将来のチャンピオンだ」とか率先してはやし立てていたのが、途中から「こいつはクズだ」みたいな見切りの速さとか。一つ行動を踏み違えると、いきなり人格全否定みたいな、アメリカ社会はげに個人責任の強い世の中なり。その割にポーリー本人は踏み間違いだらけな気もするけど(今ならきっとトランプ支持者?)。

75/100(25/6/1放映録画見)

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。