[コメント] 宋家の三姉妹(1997/日=香港)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画『アリラン』上映時に、当時の日本では弁士が主人公の狂人の青年を「この青年は7年前に朝鮮全土で起きた抗日運動時に官憲の拷問が原因で発狂したのだ」と即興で説明すると、観客は大いにわいて、創作民謡「アリラン」を大合唱したという。当時の日本人において抗日運動というものは、少なくとも直接体験していない限りは、ドラマチックでエキセントリックで、抗日と聞いてナショナリズムが煮え滾るなどということは無かったのであろうか。
『宗家の三姉妹』は明確な抗日・反日映画では無い。アメリカ留学の際に入国にあたって受けた差別的な処遇をルーズベルト大統領に訴え、「自由と民主主義を誇る米国でこのようなことがあってよいものか」と詰問したという長女・靄齢と、27歳という年齢差をも構わず愛を以って孫文の妻となった次女・慶齢、のちの国民党指導者蒋介石の妻となる末妹・美齢の物語である。姉妹の父、チャーリー宋は、少年時代に移民としてアメリカ暮らしを経験し、清朝末期の中国を近代的な国家にしようとする革命運動家であった。その娘たちは幼い頃からバイオリンやピアノをたしなみ、英語を習い、英語で歌い、さらにアメリカに留学した。私見だが、この留学シーンを最大の見せ場のように演出したのはメイベル・チャンの作家としての意思であろうと考えた。この留学が彼女ら姉妹の人生に果たした力は強いということなのであろう。
実業家と結婚して本国に帰った靄齢に代わって孫文の秘書になった慶齢は、父の長年の同志であり友人の孫文と恋に落ちる。孫文は、理想に燃え現実に苦悩する高潔な人物として描かれている。新生・中華民国の総理となった孫文の乗った列車を迎える北京の民衆は、英雄を迎えて万歳万歳と、孫文の肖像を掲げに掲げながら、熱狂的な歓呼の声を浴びせる。しかし病に倒れ、寝たままで運ばれる孫文は「何が万歳だ。いつ目が醒める?皇帝はもう存在しない」と絶望的な口調で呟くのであった。
このフィルムでの蒋介石は、野心家で頑強な軍人として描かれている。国民党と共産党の共存を図った孫文は志半ばに倒れ、孫文に代わった蒋介石は、共産党を嫌悪し、テロを以って排除した。孫文の遺志を継ぐ立場をとった慶齢と蒋介石は激しく対立する。共産党の掃討路線を譲らない蒋介石だが、中国の内戦に乗じて日本軍の侵略は激しくなっていく。我が身を火で焼いて中国の大同団結と日本への抗戦を訴える若者の横を車で通り過ぎる蒋介石。その視線は、まっすぐ前に据えられたままだった。しかし、「抗日路線」への変更を迫る張学良に拉致され、救援に向かった美齢の説得に応じて、ようやく「国共合作」の道が開けるのである。
この時、つまり蒋介石(国民党)と張学良(共産党)が内戦を繰り広げている時に、「抗日」ということばは希望であったのかもしれないが、毛沢東によって中華人民共和国が成立したのちの抗日映画はノスタルジアだったのではあるまいか。少なくとも中国においての抗日の意義は内の纏まりであったのであって、中華人民共和国成立以後にその言葉が存在する意義は無かったに等しいのではないか。
三姉妹の若き日の物語は、三人が揃って前線の中国兵士を慰問する場面で終わる。日本の敗戦後再び内戦に突入した中国において三人の道は二度と交わることなく別れていった。靄齢一家は渡米し、カリフォルニアで華僑のまとめ役として活躍したという。慶齢はひとり大陸に残り、中央人民政府副主席という地位で子どもたちの福祉と育成の事業に尽力した。美齢は台湾に敗走した蒋介石と行動をともにしたが、政治の表舞台や台米交渉で手腕を発揮した。蒋介石の没後はニューヨークに定住し、100歳以上まで生き、先ごろ亡くなったという。
このストーリーが初の映画化であったというのは、意外だった。まだ解決していない中国と台湾の問題、生々しい現代史の断面、そして当事者が存命という事情があるのかもしれない。だが、宋家の三姉妹に関する出版物やテレビドラマ、劇は既にたくさん世に出ているようなので、以上のことは理由には当たらないだろう。あまりにもドラマチックな人生。フィクションである映画が撮りようによってはノンフィクションである史実に負けてしまう恐れは多分にある。メイベル・チャンは、宋靄齢・慶齢・美齢の半生をどのような解釈で私たちに示したか。ひとりひとりの人間は非力で、時代の波に翻弄される者がほとんどだ。宋姉妹もけっして例外ではなかったが、西欧で培った教養と強い自意識と宋家の力を持っていた。それ故に、彼女たちが新しい祖国をつくるポジションにあることを自覚し人生を捧げたこと、そしてそのために身に受けなければならなかった苦しみと悲しみを、『宋家の三姉妹』はスクリーンの上に描きだしている。
つまり、政治というものは、人間の普遍の感性や人間の日常生活から出来る限り遠ざかる事によって成立するとものなのであるということなのである。そのことが日本人が「アリラン」を大合唱した原因であるのかもしれない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。