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[コメント] 無法の王者ジェシイ・ジェイムス(1957/米)

見事な西部劇だ。なんと安定した構図の連続。ニコラス・レイのシネスコ使いを堪能した。ずっと見惚れ続けながら見た。
ゑぎ

 ミネソタ州ノースフィールドにおける、銀行襲撃直後の銃撃戦から始まる。これは本作中ではギャング団の最後の犯罪場面だ。逃亡中、山の斜面の洞窟の前で、ジェシー−ロバート・ワグナーと兄のフランク−ジェフリー・ハンターが自分たちのママの話をし、場面が病身で寝ているママ−アグネス・ムーアヘッドに繋がれる。続いて彼女の回想で、若きジェシーが、北軍と密告者の隣人−チャビー・ジョンソンに拷問されるシーンを挿入するのだが、この後、ジェシーの妻になるジー−ホープ・ラングの回想と、兄のフランクの回想を繋いで、洞窟の場面に戻り、その後のジェシーの死までが描かれる、という全体構成だ。

 まず、冒頭の銀行襲撃からの逃走シーンで、原野や山中の疾駆ショットをカッティングする部分から瞠目するショットが続く。崖上から川への人馬でのダイブは、リメイク元『地獄への道』の同一カットを流用したものだが、上手く繋いでいると思う。そして、追手たちが、雨降る山の斜面の小屋に集まる場面の構図もいちいち唸ってしまうのだ。こゝは保安官−ジョン・ドゥーセットのところへ、探偵のレミントン−アラン・バクスターがやって来る、という大事なシーンでもあるが、この追手としてのレミントンが、イマイチ怖さのない造型なのは、本作の不満点ではある。しかし、ダイナマイトを投げて爆発した洞窟から、ギャング団の一人が山を転げ落ちるショットは、凄いスタント仕事じゃないか。

 回想シーンの中では、ジーとジェシーと二人一緒に川で受洗する場面(川の水に二人の頭が浸けられる場面)は特記しておきたい。こゝで式を司る牧師は、ジョン・キャラダインだ。彼は『地獄への道』では、ジェシーを背中から撃った男−ボブ・フォードを演じていたのだ。また、フランクの回想で、列車強盗をやったことから運命が狂い始めた、というような科白があり、続く、列車を馬で追うショットの迫力に度肝を抜かれるのだが、列車に飛び乗り、屋根上を前方へ歩いて行くのを映した横移動ショットは、画面下部の車両内の乗客も見せるという、唖然とするようなショットなのだ。こゝも、見事にシネスコが活きる構図だろう。あるいは、ジェシーとフランクの実家が、レミントンたちに急襲される場面での、丘の上から撮った全景ショットも同様に素晴らしい構図だ。

 そして、冒頭のノースフィールドにおける銀行襲撃シーンの全貌は、終盤のフランクの回想の中で見せる。これも『地獄への道』とほとんど同じような顛末なのだが、銀行の前に、英語が話せない男を登場させたりし、緊迫感は強化していると思う。また、『地獄への道』では、ボブ・フォード役のキャラダインが探偵社に事前に伝えていたという描き方だったが、本作では、そのような裏切り者が描かれていないこともあり、襲撃後、極めて速やかに、町全体が防御態勢を取る、とりわけ、通りに荷馬車などでバリケードを築く手際には驚かされたし、これも、スリルの醸成に機能している。尚、こゝでも、馬に乗ったまゝ商店の窓へ体当たりし、突破を図る場面は、『地獄への道』のフィルムを拝借しているようだ。

 ジェシーの死については、エピローグのようなかたちで描かれるが、ノースフィールド(ミネソタ)から、ミズーリへの逃亡の様子は完全に割愛されるし、唐突にジーの元へ帰宅する、という描写は、ちょっといい加減な見せ方かも知れない。しかし、ロビー(ボブ)・フォードが、俺がジェシーを殺した!と町で言い触らす場面から、黒人の物乞いがジェシーの歌(当時すでにこんな歌が流行っていたのは多分事実なのだろうと思わせる)を唄いながら歩く場面へ繋ぐエンディングはやっぱり抜群にカッコいいと思う。

#備忘。コール・ヤンガーはアラン・ヘイル・Jrが演じているが、ボブ・ヤンガーは、アンソニー・レイ。ニコラス・レイの息子。

(評価:★4)

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