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[コメント] 知りすぎていた男(1956/米)

途中までは『暗殺者の家』の方がソリッドで良かったと思ってましたが…見終わってみると、デイに全部持って行かれてしまったことに気付きました。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 イギリス時代にヒッチコック自身が監督した『暗殺者の家』(1934)のアメリカ版リメイク。当然ながら物語の流れとかは(ぬる目の展開も含めて)ほぼ同じ。私は『暗殺者の家』の方を先に観ていたので、むしろイギリス時代の方が鋭い演出が出来てたのになあ。やっぱり大スターを起用すると、むしろ人物描写がメインになるから、かえって物語を阻害するんだろうか?とか思いながら観ていた。

 自分で言うのも何だけど、この考え方は概ね間違ってなかったと思う。謎解きに集中させた『暗殺者の家』と較べ、スチュアート、デイ共に露出度が多すぎ、そっちの方に目がいってしまう。

 …ただし、それは途中まで。この作品は『暗殺者の家』の物語分が終了したところから真価を発揮する。

 そう。最後のドリス=デイの歌う「ケ・セラ・セラ」。これは最大級のパンチ力を持っている。ビデオだから寝転がって観ていたが、ここのシーンは鳥肌が立つほどに興奮。思わず起きあがって画面に見入ってしまったほど。

 パートとしては長くないが、この部分は実は物語そのものにもの強く関わっている。

 一つにはスチュワートとデイの関係がここで逆転していると言うこと。タイトル『The Man Who Knew Too Much』というのは、単に陰謀を知ったと言うだけではない。スチュアート演じるベンは博学であり、ひらめきも行動力もある。人間的には素晴らしい人物だった。だが、その能力は時として暴走し、今回の事件を引き起こしたのみならず、核心に迫りすぎたために様々な人間を危機に陥らせてしまった。そんなベンは事ある毎に“頼りがいある夫”を演じようとし、妻のデイ演じるジョーには何も喋らず、背後に引っ込めさせようとしていた。特に前半部分は嫌味なほどにこれが繰り返されている。確かにベンの能力のお陰で国際的陰謀を未然に防ぐことは出来た。だが、物語の肝心な部分、息子ハンクを救うことは、彼の能力では出来なかった。ハンクを救ったのは、ベンが常に大切に扱っていた妻ジョーの方だったのだ。その逆転が面白い。

 そしてもう一つ。ここでデイが歌い、スタンダード・ナンバーにまでなった「ケ・セラ・セラ」の歌詞の意味は「なるようになる」で、息子のことが気がかりで、心中焦りまくっているはずのジョーが力一杯こんな歌詞を歌っていると言うのがなんとも皮肉であること。事態の緊迫感は歌とは全く逆。それが同時に痛烈な皮肉となっているのも大変興味深いところだ。

 最後の最後にどんでん返しを受けたような気にさせられた。本作を観る場合、是非『暗殺者の家』を先に観ることをお勧めしたい。同じ驚きを得ることが出来るだろうから。

 又、撮影に凝るヒッチコックらしく、本作も多くのショットが後の映画作りに活かされている。特にクライマックスで劇場内の俯瞰ショットから一人の男へとカメラが移動する場面はクレーン・ショットの手本とされている。

 最後に、「ケ・セラ・セラ」の歌詞を書いておこう。

1.まだ小さい頃 ママに聞いたわ あたしは何に? 美しい娘に? お金持ちに? ママは答えたわ ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない

2.学校に行き始めて 先生に聞いたわ あたしは何に? 美しい娘に? お金持ちに? 先生は答えたわ ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない

3.大人になり恋をして 恋人に聞いたわ 未来には何が 幸せな生活が待っているの? 恋人は答えたは ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない」

(評価:★4)

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