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[コメント] 道(1954/伊)

皆さんがここでおっしゃる通り、無垢なジェルソミーナの存在が、粗野なザンパノを近代的な意味での人間に変えたのだと思う。彼は孤独を知ったのだ。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「私、仕事するの。ローザみたいに歌と踊りをしながら全国を巡るの」と村の人に言い触れるジェルソミーナ。死んだ姉(ローザ)の代わりに、旅芸人の助手として1万リラで売り渡されただけなのに。一見、ただの頭の足りない馬鹿にも見えようが、明らかにそれだけではない。働く、つまり人から頼りにされることの尊さを知っている。つまり彼女は、これまで人から頼りにされることが。

 最初の晩、ザンパノ(旅芸人)へ「明日の晩から」と答えたにもかかわらず、幌(荷台)の中へ強引に押し込まれてしまうジェルソミーナ。画面は暗転し、すぐ翌朝になる。まだ眠っているザンパノの横顔を眺めるジェルソミーナの表情は、画面が暗くてよくわからなかったものの、恥じらいつつも幸福そう。「女」になれたから? そうかもしれない。いや、多分そうだ。でも、人に満足を与えられたから、喜びを与えられたから、かもしれない。

 町の食堂で、知人に声をかけられたザンパノは、ジェルソミーナを「俺の女房だ」と紹介する。「嘘をつけ。新しい女だろ」と知人。すぐ別の女に声を掛けるザンパノ。その横で、彼女なりに<貞淑で控え目な妻>を演じているように見えるジェルソミーナ。ただの馬鹿に見える?としたら悲しいけど、彼女なりに世間というものを捉え、彼女なりにそれを体現している、つまり知性が働いていると僕なんかには見えるのだけどなあ。

 「ここで待っていろ」と言い置いて、バイクで女と出掛けてしまうザンパノ。翌朝になってもそこで待っていたジェルソミーナは、町外れの畑で男が寝ているという話を聞くと、町の人が親切でくれたスープにも手をつけずに、町外れへ走り出す。このシーケンスが表しているのは、彼女の純心。

 では、ザンパノは? ザンパノは、心の拠りどころとしては、他者を必要としてこなかった人間か。他人とは、自分が利用できる何者かと、まったくの赤の他人の2種類しかない、みたいな。本能に従い、けもののように生きてきたザンパノは、自分のことしか考えてこなかった男だ。

 人は、一人でいるから孤独を感じるのではない。ラストシーンで渚にうずくまり、嗚咽を漏らすザンパノの姿は、孤独という感情を持て余す男のそれだ。彼は初めて他人という存在を知り、同時にそれを失ったことを知ったのだ。

 なんちって。

(23/12/25記)

  *  *  *  *  *

(以前のコメ)タイトルがいい。「道」だぜ・・・。

(以前のレビ)気が触れたんだからもともと基地外ではなかったって証拠だな。もちろんジュリエッタ・マシーナだって普段はちゃんとしてらっしゃったんだろうから、ああいうの、ほんとにそうなのかな?(なんて疑問を投げかけて見せたりして)

アマルコルド』に出てた「シルブプレ」にはリアリティがあった。

(評価:★5)

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