[コメント] 惑星ソラリス(1972/露)
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デジタルリマスター版で約30年ぶり再鑑賞。
相変わらず大好きな映画ではあるんですが、若い頃ほどタルコフスキーを神格化していないんですよ。自分が年齢を経たからでしょうね。本作製作時のタルコフスキーは40歳。俺より全然年下。あいつ小難しいこと言って年下のくせに生意気なんすよ。
そんなこんなでこの作品、今となってはタルコフスキーで一番分かりやすいと思うんです。難解さ加減が丁度いい。ゲームと同じで、やさしすぎてもムズすぎても面白くない。ソラリスはいい塩梅。
私はずっと「恋愛映画」だと思っていました。初代『ゴジラ』と双璧をなす究極の恋愛映画。20代の俺、若かったな。いま観たらホラーでした。奥さん出てくるまでの「チラ見せ」は完全にホラー演出。奥さん出てきても怖い。嫉妬とか執念深さとか、別の意味でも怖い。それに何?あのドア破り。『シャイニング』と双璧。そして意外にも「嫁姑問題」物でした。これはヒッチコックの『鳥』と双璧。『鳥』は未婚だから嫁姑じゃないけど。もうホントに『鳥』はねえ、最初の頃、グダグダ恋愛物やってんのよ。
でもこの映画、ホラーなのに眠くなる。配信で倍速鑑賞しても遅いから?違います。主人公の行動目的が不明だから。これはタルコフスキー映画全般に言えることなんですが、この映画は特に「話が分かりやすい」から「感情の流れの不透明さ」が際立ってしまう。そして、登場人物の意図は不明なのに、シネフィル系の観客は「タルコフスキーの意図」を探ろうとするのです。これ、タルコフスキー映画あるある。
後の作品を知っているから分かることもあるんですよね。
例えばこの映画では「(重力装置が切れるから)数分間無重力状態になるよ」と事情を説明してくれます。なので、この映画公開当時の観客は「浮遊シーンを撮りたかったのねえ」くらいに思ったかもしれません。しかし後の作品で、何の説明もなく唐突に浮遊シーンが登場します。もはや「毎度おなじみ」くらいの勢いで。そうなってくると、「なぜ浮遊するか」というストーリ上の事情よりも「なぜタルコフスキーは浮遊シーンを描きたいのか」ということになってくる。これが前述した「タルコフスキー映画あるある」の要因だと思うのです。
この映画で描かれる「母」は、後の『鏡』に繋がるのでしょう。誰だかの誕生日(だったかな?)パーティーで三人がグジャグジャ口論になりますが、後の『ストーカー』で描かれる「芸術×科学×宗教論争」を想起させます。なんなら「犬」すら、後の映画でも登場する何らかの暗喩なのかもしれません。ああ、あと「風」ね。通気口にビラビラ付けるでしょ。あれ、ストーリー上には意味はないけどタルコフスキー的には意図がある。
あと、本の「挿絵」ってのもよく出てきます。この映画では「ドン・キホーテ」じゃないかな?東西冷戦の中で宇宙開発競争が熾烈を極めていた時代です。そんな宇宙開発を「風車に突進するドン・キホーテ」だと非難していたのではないかと私は思うのです。
(2021.11.13 Morc阿佐ヶ谷にて再鑑賞)
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