[コメント] ソドムの市(1975/仏=伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
えーっい、うっとうしい!!!>モザイク
モザイクをつけなきゃ日本じゃ見れないのかもしれねぇけど、それでは作品そのものをぶっ壊しているだけじゃん。特に、この作品に於いてモザイクを入れるのは反則ではなかろうか?ケツにチンコを入れるのが喜ばれるからってモザイク入れていいってもんじゃねーだろ・・・・ってどうでもいいですね。でも、別に俺の趣味とかそーゆーのじゃないけど、モザイク無しで見たかった。
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パゾリーニが何を考えて作ったのかは知らないけど、もっともっと過激に描けた気がするんだよなぁ。何か、どこかで遠慮している気がする。それこそ人間の奥底にある倫理だか何だか知らんが、そーゆー物だろ?
この作品が、仮に道徳だの倫理だのに真っ向から対抗する作品だとするのなら、それらを真っ向から否定し、それぞれ観客の心の中にある悪徳に訴えかける作品なら、もっともっと過激に描くべきであったと思う。所謂「お楽しみ」をね。
とんでもない映画を期待して、ずっとずっと待ち望んでいた。そして、遂に待望の鑑賞。その作品の中で描かれている世界は確かにとんでもないぶっ飛んだ物だった。それを通して、人間の上っ面だけのうそ臭い道徳を否定して、心の奥底にあるウンコより臭くて汚い欲望に訴えかけるだなんて、何て素敵な映画なんでしょう。
ただ、当時の時勢なんて全く知らないので良く分からないが、俺個人としては、そんな事今更言われなくても分かってるよ、と思うのだけど・・・まぁいっか。
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この作品をニヤニヤしながら見ていた俺に腹を立てる人が居るかもしれない。でもあんただってビデオ屋で手に取った地点で負けなんだよ!!興味を示した地点で、鑑賞中に笑おうと笑うまいと同じ事なんだよ。途中で見るのをやめるのは自分の中で何かが壊れるのが怖いだけだろ?そうやって自分自身を否定されるのが怖いだけだろ?
多分、パゾリーニはそんな事考えちゃいないと思うけど、俺はそんな事考えながらニヤニヤしていた。
そういえば三池崇史監督が『殺し屋1』に関して「途中で退席した人は勝手に退席してればいい。で、最後まで見た人は「勝者」なんだ」みたいな事を言っていた(うろ覚えなので違うかもしれませんが)。
じゃ、最後まで楽しんでみていた俺は勝者だ!勝者!(アホ)
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当然、物足りなさはかなりある。不満は盛り沢山だ。見る前はもっともっと刺激的で衝撃的な物だと思っていた。特に「血の地獄」とかテロップが出た瞬間、残りの30分は超絶に刺激的な30分に違いない!と一人で期待していたんだけど、結局、時代の進歩のせいで変に残酷描写に慣れすぎた為かもしれないけど、期待外れな拷問描写だった。
単純に、鑑賞前の過剰な期待が命取りになったのかもしれない。
でも、二時間画面に釘付けでニヤニヤしながら「果たして俺にはここまで徹底して作れるだろうか?」って考えると、何だか悔しいんだか安心したんだか良く分からないけど・・・・・えー、あのー、そのー、人格を疑われるかもしれませんけど、見ていて楽しかったんです。ウンコ食うシーンは『ミミズ・バーガー』なんかより遥かにヤバかったけど、それでも俺は楽しんだよ、二時間。
ああ、パゾリーニ、楽しそうだなぁ。お、俺も仲間に・・・・入れてくれなくていいです。やっぱりやめときます。僕は見る側で我慢します(意味不明)
こーゆー、分かり易く「変態地獄」だの「糞尿地獄」だのファンタスティックなネーミングしてくれて且つ分かり易く描写してくれて、もうホント、嬉しくて嬉しくて。
あの変態権力者達が次に何するのかってワクワクしながら・・・え?不謹慎ですか。じゃ、小さな声で言います。
全編、是、カタルシス也・・・・・って程ではなかったけど、それでも二時間、馬鹿馬鹿しいシーンの連発で楽しかったなぁ。
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