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[コメント] エドワードII(1991/日=英)

運動家のジャーマンには、女は女神かゴミでしかない。極論を表現しないとヘテロにはマイノリティーの存在が理解しえないとバカにしているのです。
入江たか男

女だから女王になれる。男だからさげすまれゴミの様に扱われる。同じ、王の愛人なのにね。王の横でふんぞり返る男の顔は、まさに女だから女王として扱われることを当然と思う女のいやらしい顔。それは男の顔を借りているだけ。別の男と関係を持ち、王権を奪おうとして汚れたのは女。ゴミ扱いされるのも権威を権力を望んだから。男は望んだか?ただ愛し、愛されることにそばにいただけで、そこに権力は関係ない。なのにゴミあつかい。 愛情に性別、人種、年齢等々、関係ないといいたいんだろうけど。 これが男女間のお話だったら、女性ファンも飛びつくんだろうけどね・・。 結局はいわゆる普通の男女間の恋愛を大多数であるがゆえに、当たり前に語る人間には、そこから疎外される人間の寂しさと厳しさは理解できないのか?とジャーマンは問いたい訳。この映画を見て、自分が無視された存在のように思えた人は、自分が普段、同性愛傾向の人間に対して、無言の軋轢を与えていることの罪に気付くべきだね、と当たり前にバカな人間に対しての嫌味をアピールしている映画。 男女間の恋愛を語る映画にしろ小説にしろ、あらかじめゲイは排除されているのだ!差別にしろ区別にしろ多数であるが故の無言の排除は常になされているのだ。そのことの事実に気付かない者は、さぞ幸せにお気楽な狭い視野の世界の中でお互いの傷をなめ合っていろ!とジャーマンは言いたいんですね。ま、彼は映画監督という名の下の運動家だからね。むしろここまではっきり、わかりやすく表現しているのだから、よっぽど大衆がバカだと思っているんでしょうね。

(評価:★4)

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