[コメント] 伊豆の踊子(1933/日)
音がないと言うことが、これほどまでに作品と役者達の演技にプラスに働きまくるとは。何が起きているのか、何が心にうごめいているのか、その普段見える所と見えぬ所までを映像で表現していく姿勢は映画の基本中の基本でありながら、一番難しい技術であり、魂。それが鎮座している映画にいる田中絹代の表情にご注目あれ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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演技と映像と音で構成された映画。
演技とモノクロでサイレントでも映画。
いずれにしても両者の芯に必要なのは物語の魅力。惜しいかな、川端康成という名前が多少正当な絶対評価の作業に邪魔をするのだが、それを考えることを無力化してくる程に、丹念に練られた脚本は黙って取り憑かれたように見入らせる力を秘めていた。そして、原作におんぶにだっこではない、演技者の力ある表情の顔力と眼力を見てしまった今は、「モノクロサイレント映画の邦画を馬鹿にする輩を殲滅させるにはこの映画が一番だな」が沸々と脳にインプットされ虎視眈々と何年後に見たいと思うのであった。
さらに、見れば見るほどに味があるはずだ!と霊感ゼロながらもビビッドにスクリーンでそれを透視していた自分を満喫していたのを忘れない。
情熱的に「あっ、俺って映画鑑賞運あるのかも」と。
2003/5/9
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