[コメント] グリーンマイル(1999/米)
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超能力(あくまでフィクションの中の超能力のことです)は不思議である。「超能力を手に入れるぞ〜」と言って修行したり血のにじむような特訓をするといったことを聞いた事がない。『X−メン』のように先天的にもっているか、『デッドゾーン』のように何らかのショックで目覚めたりするのだ。 これは多くの作家が超能力を人間からの「進化」と捉えているからだろう。鳥は生まれながらに翼を持っているが、人間にはない。どんなに努力しても(肉体的には)翼は生えない。人間からみれば飛行能力は超能力である。だが飛べるからといって、それは進化か?確かに人間の飛べるようになればそれに越したことはないが、中には「飛ぶなんて俺はごめんだ」という奴もいるだろう。いったい何をもって「高次の段階」なのか、けっこう難しい判断ではないのか? なかなかうまく言えなのだが、いわゆる超能力とは実は進化の賜物ではなく、むしろ「体質」というべきものではないかと思う。もっと言えば「病気」に近いのではないのか(このへんクローネンバーグ映画の超能力観が近い)。つまり知らず知らずのうちに周りにる人の思考が頭脳に流れていく体質、感情が高ぶるとまわりのものが燃えちゃう体質・・・それで世界は救われるのか?甚だ疑問である。 何が言いたいかというと、こういう体質とその人間の人格とはあんまり関係がない。進化と考えれば、それを獲得した人間は人格的にも優れていなければならない、と考えてしまうだろう。実際この映画のジョンはそういう人間である。J・Cという頭文字、ストーリー自体が救世主伝となっているのも分かる。だが「病気を治せる」という体質と人格は関係がない。ジョンがホントに凶悪犯であってもおかしくない。「病気を治せるからいい人または救世主!」というのは希望的観測である。そう考えたいのは分かるが非常に安直な発想、現実的には安易な「強いリーダー待望論」に結びついてく可能性がある。 わたしは考えるのだが、ジョンがどうしようもない人間のクズの幼児殺しで、なおかつ難病を治せる能力を発見したら、ポールたちはいったいどんな対応をしたのだろうか、あるいは冤罪の証拠がまったく見つけられなかったら?それでもポールが彼を助けよう、と努力するなら、彼こそが本当の救世主だったかもしれない。
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