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[コメント] 哀しみのベラドンナ(1973/日)

儚げで耽美的な水彩着色のイラストレーションの長回しには陶酔させられる。だが、歴史好きな女子高生たちのために変えられたというラストシーンにはちょっと疑問。これはジェンダーとか歴史的意義とかの話ではなく、純愛譚だろう。悪魔はラストシーンにおいて何処にいるのか。ヒロインにとっては重大な問題であるように感ずる。思い出のなかで美化されすぎたかの観はあるが、思い入れに免じてこの点。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「女子高生ヴァージョン」なるものがあり、それ以前のものとは多少の差異があるのだそうだ。それは性的に露骨な場面のカットのみならず、ラストが完全に変えられているという。ジャンヌが磔刑に処せられた後、それ以前のヴァージョンでは悪魔の高笑いとともにフィードバックしてゆくのだが、「女子高生」ではジャンヌの磔刑を見守る女たちの顔が皆ジャンヌの顔に変わり、そしてフランス革命に於いて先頭に立ったのは女たちであったとのテロップが流れて、ウジェーヌ・ドラクロワの『民衆を率いる自由の女神』が大写しになって終わるのだ。

このあたり、手塚治虫は関係していない作品なのに彼のテイストそのままだなあ、と今回見たときにも呆れてしまった。中山千夏がナレーションをやっているから女性運動を匂わせているわけでもあるまいに、この作品のストレートな好色趣味に無理矢理教訓を結びつけるやり方は手塚そのものだったので、一種感慨に耽ってしまったのだ。そこら辺がこの作品の古さである、ということは認めざるを得ない。今現在、そんな免罪符をぶら下げるエロティック・フィルムなどありはしないだろうから。しかし、如何にも可愛らしい逃げ方だ。女性監督がエンターテイメントのセクシャルフィルムを平気で撮るようになって久しいが、そんな自由で開けっぴろげな時代の中でこの作品は女性にどう受け取られるのだろう。やっぱり、女性蔑視時代の遺物と片付けられるのか。ちょっと可哀想な気もする。

しかし、生前キリスト教的道徳観に随分と抵抗を感じていたような手塚のこと(勿論今作は彼とは関係がないことは棚に上げて)、彼の弟子たちの悪魔観といったものにも触れてみたかった、と「女子高生ヴァージョン」に露骨なシーンを再度混ぜ合わせた「決定ヴァージョン」を観ながらそう考えるのだ。

(評価:★4)

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