[コメント] レディ・イヴ(1941/米)
典型的な脚本の映画として画面処理にこれといった工夫の施しが見られないあまりに隷属的なSO-SOコメディ
いかにも脚本家の映画作品といった域を超えないSOSO作品である。その視後感は三谷幸喜の一連の作品を見ているようで質素であり、幾許かの洒脱な機知を認めて映画であることが許されているといった程度の代物だ。脚本家=映画監督の画面処理における映画マジックへの信頼性が致命的に低くある時期の流行作家であったスタージェスがやがて失速していくことを思えばいかにもといった具合である。特にコメディというジャンルは鑑賞者の一番シンプルな感情を操作するという点でとりわけ高度なもしくは特異な施しが必要となる。それはある種の“至芸”であると言い換えてよく、同じ話も話す人によって面白みが変化するのと同じで、話の内容よりも話の視点(切り口)、話体(語り口)というよりダイレクトな表現がシンプルなインパクトを生み出すからに他ならない。ゆえにチャップリンやウディ・アレンのように俳優=作家であることの“芸”の体現に見る強度や、アキ・カウリスマキのオフビートでシニカルな視点、ブニュエルのブラックで辛辣な批評に満ちた語り口こそが強烈な喜劇性をもってその達成を誇るのだ。本作にはジャンル・コメディ映画としての喜劇的な作劇の施しこそあれ、それを横溢させる映画レトリックとしてのアイデア、役者陣のプロフェッショナルなコメディアン・コメディエンヌぶりが希薄であったことが無念であると言わざるを得ない。
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