[コメント] 楽園(1998/日)
『萌の朱雀』の遺伝子、あるいは残光か。
『萌の朱雀』のクオリティが助監督の萩生田宏治と撮影の田村正毅に負っている部分が大きい、とはよく聞く話だ。『火垂』を見た直後は、この二人が『萌の朱雀』を作ったのではないかとさえ思えた。しかし、この作品を見る限り、その考えは否定せざるを得ない。
『萌の朱雀』と同様、ほとんど素人を使い、方言で話させると言う手法は使われているものの、セリフや演出において、その要素はあまり生かされていないように思える。また、印象的だった田村正毅の映像も、今作においてはオープニングとラストの映像以外はそれほどのインパクトを備えてはいない(おそらくフィルムの特性の違いなどもあると思われるが)。
つまり、『萌の朱雀』の成功には河瀬直美が不可欠だったと言うことを物語る。
しかし、『萌の朱雀』の鍵概念である「素人役者」「過疎地」「擬似家族」などといった要素は『火垂』には受け継がれず、この『楽園』にこそ受け継がれている。このことは何を意味してるのだろう。萩生田がこれらの要素を『萌の朱雀』に持ち込んだのか、あるいは、『萌の朱雀』で得て『楽園』に持ち込んだのか。
いずれにせよ、ここで見られるのは『萌の朱雀』の「部分」でしかない。
2001/6/11
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