[コメント] 銀嶺の果て(1947/日)
序中盤のとっ散らかり具合は酷いが、突然に終盤がとても美しい。山の掟で世の中回ればどんなにいいだろうと思う。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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山の掟ってのはいい。山道ですれ違えば必ず挨拶をする、あれだけでも気持ちのいいもので、登山して良かったと思える。本質的に宗教的で、エスキモーやインディアンの教えと類似している。人が少なくて、自然が厳しくて、助け合わなければ生きていけない世界のルール。人間本来の姿と思う。月並みですが。税金で安心安全を買わされている日本では、この安心安全が及ばない局地だけに、これらの知恵は姿を現すのだろう。そういう想いに誘ってくれるだけで、本作は佳作と思う。
雪山での撮影は困難を極めただろうと想像されるが、それでも黒澤なら雪崩と逃げる人々を死んでもワン・フレームで収めようとしただろう(『デルス・ウザーラ』では本物の熊と人を同時に撮ろうとして撮影隊は酷い目にあったとのこと。これ、野上照代さんの講演で聞いた話)。やけに到着の遅い追跡隊も不自然で、最後の志村がお縄を頂戴していないもの演出上解せない。ヒューストンの『黄金』(翌年の作品だけど)路線でいくか『黄金狂時代』路線でいくか、編集が終わったのにまだ迷っているみたいな中途半端さがいけない。宿屋の主客のはしゃぐ件など省いて志村喬のエピソードをひとつ加えれば、とてもいいものになっただろうし、そんなこと(黒澤含めて)制作側は重々承知のはずだろう、訳判らん。終盤がいい分、いろいろ惜しい作品。ただ、だから若山セツコが可愛くていいということはある。高堂国典の出番が多いのもなぜかちょっと嬉しい。
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