[コメント] ジュブナイル(2000/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
“ジュブナイル”。何というノスタルジックな響きだろう。その言葉を聞くだけであっという間に心は少年時代に戻る。
小学校時代、特に高学年は私はいつもジュブナイルと共にあった。それは眉村卓の「ねじれた町」であり、「謎の転校生」であり、筒井康隆の「緑魔の町」であり、「時をかける少女」であり、石川秀輔の「ポンコツタイムマシン」であり、豊田有恒の「時間砲計画」であり、小松左京の「宇宙人のしゅくだい」であり…これじゃきりない。いくらでも出てきてしまう…小学校から中学校の最初にかけて一体何冊そしてどれほど繰り返してジュブナイルと呼べるものを読んだだろう。勿論NHKの少年ドラマシリーズも忘れられない世代だ。いくつかは主題歌まで覚えてる。
私がSF好きになったのも、元はと言えば小学校時代にジュブナイルをむさぼり読んだから。田舎の図書館に何故か沢山置いてあったのが幸いした。大人になったらSF小説家になりたいと思っていたのもその時代だ。
登下校のたんぼのあぜ道に、私のためだけに存在するロボットが潜んで、私と接触する機会をうかがっているのではないか?あそこにある廃屋は、実はマッド・サイエンティストが創り上げた研究所の入り口なんじゃないか?神社の境内の裏にはタイム・トンネルがあるのでは?…もちろん本気にしていたわけではないけど、そう考えるのがとても楽しかった時代。
その時代、その思いを今、映画にすることは可能だろうか?
それが怖かったから劇場に行けなかった。裏切られたくなかったから。
確かにこれまでにもジュブナイル作品だったら『ねらわれた学園』とか『時をかける少女』が劇場公開されていたが、『ねらわれた学園』は私にとっては正視に耐えられぬ出来で、『時をかける少女』は大林宣彦監督によってソフィスティケイトされすぎ。それにどっちも“こどものため”の作品ではなくなっていた。
…とは言え、観ないでは話にならない。
結局レンタルビデオと言う姑息な手段を用いて鑑賞に踏み切った。
山崎貴監督は、多分私と似た思いを以て少年時代を過ごしたのではないか?そんな風に思った。特にオープニング部分とか、設定とかに絶妙なこだわりが見られる。微妙な違和感が自分たちの町の中で起こっている。小汚い電気屋に住むお兄さんが実は発明狂で(この電気屋が木造でトタン張り。その中でハイテク器具に囲まれているというのが、それだけで泣ける設定じゃないか!)、世界を揺るがすであろう大発明を個人レベルでやってる。大事件が起ころうとしているが、それを少年の仲間だけで未然に防がねばならない。ジュブナイルの王道であり、小説の中で書かれていたことが実際に映画になっていた。それはとても嬉しい体験だった。
だが、である。当然の話だが、時代は既に'70年代ではなくなっている。この話の舞台は2000年なのだ。
土と草に埋もれた赤茶けた鉄骨、廃屋のコンクリートからあたかも骨のように伸びる鉄棒、溶けかかったコールタールに覆われた道路、土管や廃タイヤの置いてある空き地などは、既に無く、冷えたスイカと麦茶、そして時々買い食いする駄菓子屋の味の合成着色料で見た目も味もキツイお菓子が最高のおやつだった時代でもなくなっていた。同じ部屋で寝起きしている親の目をどうこっそり盗んで友達に会いに行くか知恵を絞り、女の子と仲間であると言うことがたまらなく恥ずかしかった時代でもない。
この映画の主人公の少年達は個室を持ち、当然部屋にはテレビもゲームもあり、家の中は冷房で冷やされ、腹が減ったら近所のコンビニで数百円レベルの健康的な食品を買い食いできる程度には金を持っていて、親の目を盗むと言っても、夜中友達と会う位ならコソコソしなくても良い世代だ。時代は確実に移っている。
当然彼らの冒険も、汗や泥にまみれつつ行うものではなくなっていた。彼らの冒険は部屋の中でゲーム機でシミュレーションを行った、CG感溢れるロボットを操縦するものであり、戦う相手もスケールのでかいもので、既に大人に見える形で現れていたし、その戦いは何人もの大人が見守る中で行われる。手っ取り早く言えば、感覚的にシミュレーションがずーっと続いているような、そんな戦いなのだ。
…まあ、仕方あるまい。いや、そうでなければならないのだろう。ジュブナイルとは、少年に読ませるものであり、そしてその時代の少年の心を掴むためには、その時代に合ったものでなければならないのだから(本当に合っているかどうか、その辺の判断は難しいところだけど)。
ラストは見え見えで、ちょっといただけなかった気もするが、かつて口コミで広まった『ドラえもん』最終回を作りたかった。と言うのが脚本の狙いだったとしたら、これも仕方なしか。
これは懐かしく、そして一抹の悲しみを覚える作品だ。出来ることなら、もっともっとこういう作品が映画化されれば良い。ゲームでも良い。こども達にSFの楽しさを覚えてもらうためにも。そしてこれから“良質のSF”を私に読ませてくれる作家が育つのを願う。
ところでここに登場した鈴木杏は私はこれから一番注目すべき役者だと思っている。『ヒマラヤ杉に降る雪』での、あの神秘的とさえ言って良い姿が未だに鮮烈な印象を持っているし、この作品でも、確かに一番輝いていたのは彼女だった。今度は是非宇宙人役か予言者のような、非人間性を強調した姿で画面に登場して欲しい。その方が絶対彼女の魅力を引き出せると思う。願わくば、今度は是非怪獣映画で…(笑)
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