[コメント] ジョニーは戦場へ行った(1971/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いわゆるハリウッドの赤狩りで放り出されたトランボがやっとハリウッド復帰を果たした作品。本作の原作は自分自身が描いたものだが、描かれたのは1938年。なんと38年もの時間を経て映画化となった。
原作そのものは私自身のベストブックの一冊で、20年前から常に私自身の本棚の中に入っている作品。原作を読んだ後での本作の視聴は、ある種の快感をもたらす。様々な遍歴を重ねてきた監督が、ある意味もっとも先鋭的な作品を作ってくれた。
先に私は『[リミット]』(2010)のレビューで「最も移動距離がない映画」と書いたのだが、実はそうではなかった。それ以前。実に40年も前に既にこれ以上無い短い移動の人間を描いた作品があったのだ。
正確には“移動距離の短さ”という意味では、結構長い距離を移動もしている。第一次大戦中で、主人公は戦地から帰ってきているし、病院の中では実際に移動もしている。
しかし、主人公の存在は、自分では全く動くことができず、更にその肉体も欠損している。本作を通して主人公が移動したのは、実は自分の精神の中だけである。全く自分では動けない主人公。これほど移動しない主人公はそれまで存在しなかった(そう考えると『ミッション:8ミニッツ』(2011)もそのカテゴリーに入るか)。この設定だけでも充分面白いのだが、内容も極めて挑戦的。
本作はこれ以上無いほどストレートな反戦映画であり、それをてらいなく作ってしまったというところに本作の価値がある。
それまでアメリカにあって反戦映画、若しくは共産主義を肯定的に描いた作品はほとんど作られることがない。それはかつてマッカーシズム旋風が吹き荒れる中、そのような作品を作る可能性のある監督や製作者が徹底的に弾圧されたお陰である。それ悪名高い“赤狩り”だった。結果としてハリウッドの中に深い傷跡を残しつつ、10人の、いわば生け贄を捧げることでハリウッドは平静を取り戻したという経緯があったから。
そのハリウッド・テンの中にいたのが本作の監督ダルトン・トランボだった。脚本家として非常に高く評価されていながら、これによって冷や飯食いを余儀なくされて島田のだ。結果としてこれまで細々と偽名で脚本家として仕事していたのだが(その代表作が『ローマの休日』で、あの脚本家がトランボであったのがわかったのが90年代になってからだった)、ようやくその自主規制も薄まっていき、やっと本当に作りたいものが作れるようになったことで、この作品が世に出たことで、ようやくハリウッドがバランスを取り戻したことがわかる。70年に製作された『レッズ』あってこそ、本作ができたことがわかるだろう。
戦争の悲惨さを伝える作品は数あれど、主人公の存在そのものをこれほど反戦の素材とできたのは、『我等の生涯の最良の年』(1946)以来だが、それを遙かに超えたものが出来ている。物語そのものもとても良いのだが、これが作られたということそのものに感動を覚える。
本作は映像的な“詩”として観る事も出来る。肉体感覚のほとんど全てを失った主人公が、それでも正気を保ち続ける事が出来るのは、過去の記憶と、ほんの僅かに与えられる肉体的接触。その肌の感覚の悦びをいかに描くかが本作の肝となるのだが、映像のほとんどが限定的な描写に留められているから、その描写が映えている。『僕の村は戦場だった』(1962)と同質の映像詩的快感を与えてくれた。
観る人を選ぶ作品ではあるものの、とにかく素晴らしい物語。
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