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[コメント] バージニア・ウルフなんかこわくない(1966/米)

ハリウッドの映画史を語る上で避けては通れない作品です…が、観てるのがつらい。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 エドワード=オルビー原作の舞台劇の映画化で1966年全米興行成績3位を記録した作品。

 映画史に残る映画というのは数多く存在するが、映画史そのものに影響を与えた作品というのも、いくつかは存在するものだ。この翌年には『俺たちに明日はない』(1967)および同じニコルズ監督による『卒業』(1967)というアメリカン・ニューシネマを作っていくわけだが、『卒業』以前にニコルズ監督が作り上げた本作は、おそらくアメリカ映画史において、最も重要なポジションを持っている作品の一つだろう。この作品はハリウッド映画そのものを変えてしまったのである。この二作によってニコルズ監督の名前は映画史に残り続けるだろう。

 アメリカで映画が始まって以来、ハリウッドはアメリカ映画の中心であり続け、就中それは世界の映画を牽引していった中心でもある。これからもここから多くの傑作映画が作り出されていくだろう。しかし、ハリウッドにはいくつか負の歴史というのも存在する。顕著なのはこの時代のレッド・パージだろうが、それ以外にもハリウッドには当時悪名高いプロダクション・コード(別名ハリウッド・コード)なるものが存在した。プロテスタントの国アメリカは、映画は社会の模範となるべく規定を厳しくしていた。たとえば女性のヌードは駄目(正確には裸の正面を撮ること)や、卑語は使ってはいけない、血は基本的に流してはならない(この辺りはかなり微妙なのだが)、何より重要なのは政治的な偏向があってはならない(具体的には共産主義礼賛など…しかし、それ自体が政治的な偏向のようにも思えるんだが)など、数多くの規制があり、それ故に映画人は表現を押さえられた形でそれまで映画作りを余儀なくされてきた。

 もちろんこれまでにもそれをすり抜けるように色々な映画作りはなされてきた。例えば撮影場所をハリウッドではなくニューヨークに移すとか、あるいは海外で撮るとか…しかしいずれにせよ、アメリカ国内でのメジャー公開では、ハリウッド・コードにどうしても触れてしまうのだ。

 だが、1960年代も後半になっていくと、それは時代遅れであると業界の内外から非難の声が上がり始める。アカデミー賞などを通して海外の作品に映画人以外も触れることが出来るようになり、海外の自由な映画作りを一般の人も目の当たりにし出したし、何より、作り手が時代に合わせたものを作りたがっていた。

 そしてコードそのものに対する非難は、本作こそが起爆剤となった。

 本作は舞台劇の映画化なのだが、舞台では許されていることを、映画でもやってしまった事に本作のユニークさがある。これまでコードを恐れるあまり、舞台劇の映画化は、細心の注意を払い、まるで言葉狩りのように慎重に言葉を選んできたのだが、本作はそのまま舞台劇のままの台詞を出した。結果的に卑語の連発という事態を招く。実にこれまで培ってきたハリウッド作品で「Fuck」という言葉が出たのは、実は本作が最初なのである。しかもこの言葉を発したのは、当時最高のスター、エリザベス=テイラー!。彼女の存在なしに本作の公開はあり得なかったのだから。

 プロダクション・コードに抵触した内容でありながらも公開が可能だったのは、誰しもテイラーを見たがっていたと言う世間の風潮を抜きにしては語れない。結局プロダクション・コードの方が自らを曲げる形で本作の公開を容認することになった。

 だが、これが世間に与えた衝撃は凄まじかった。

 これまでのハリウッド映画にはないむき出しの感情。そして相手を傷つけて悦に入る人間達。登場人物はどれほど着飾っていても、その心の真実をむき出しにされ、正義はどこにも感じられない。そして徹底してふしだらな女性を演じるテイラー。

 これらはこれまでの映画では決して観られないものであり、これを観た大部分の人に嫌悪感を起こさせたという。

 だから、本作にまつわる事件は色々とある。例えばキリスト教婦人同盟などから反発が大きく、公開までに時間がかかりすぎたとか、上映中、ナッシュビルの警察にわいせつ物として押収されてしまったとか、カトリックからはこの作品を観ないようにとキャンペーンが張られたとか…

 それに、何より観客が驚いたのは、美しいテイラーの姿はそこには全く無かったと言うことである。

 それだけの衝撃作に出演するに当たり、テイラーは並々ならぬ決意をしたようである。テイラーは当時34歳。既に『バターフィールド8』(1960)でオスカーを得ているキャリアをかなぐり捨てるかのように、10キロ近く体重を増やし、45歳のアルコール中毒の女性を見事に演じきった。ちなみにニック役のバートンは実生活でのパートナーでもあり、結婚して僅か2年目で、実は熱愛中の時代だったそうだ。その二人がここまでやれたのは、むしろこれこそが愛情のなせる業だったのかもしれない。

 本作が公開されたことにより、ハリウッド・コードは事実上変革を余儀なくされた。以降ハリウッドではレーティング・システムが取られるようになる。その結果として、レーティング問題さえクリアできれば、監督はかなり自由な映画作りを可能とした。ある意味、現在のハリウッドを作った作品と言っても良い。

 …ちなみに、それを知ってなお、改めて思うのは、これは正直「耐えられない」作品。全編を通して救いが無いんだもん。家族が崩壊していく話はどうも苦手だ。はっきり言ってこれを全部観るのは苦行に近かった。しかも長いし…

(評価:★4)

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