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[コメント] 戦艦ポチョムキン(1925/露)

エイゼンシュタイン流のモンタージュは、その比喩的な表現手法がいささか見え透いているのです。
TM大好き

エイゼンシュタインほど過大評価されてる映画監督も珍しいように感じるのです。例えば、この『戦艦ポチョムキン』は、映画史で初めてモンタージュ手法を確立した作品とされているわけですが、しかし、ちょっとした映画ファンなら、「あれ、これぐらいの手法なら、他の監督も似たようなことやってるだろ」とも感じるのではないでしょうか。この点については、何人かの映画研究者も指摘していて、例えば、純丘曜彰[2005]は、『戦艦ポチョムキン』より約10年早く、グリフィスが『イントレランス』などで一種のモンタージュと呼べる手法を取り入れていることを認めています。

ここでは、その純丘の分析を紹介したいのですが、彼によると、モンタージュ手法は、グリフィス・スタイルとエイゼンシュタイン・スタイルとに大別することができます。そして、その相違点は、前者がマルチ・カバレッジ、つまり、場所的・時間的に同一の行為・出来事をマスターカメラだけでなく(複数の)サブカメラでも同時並行で撮影させるところにあると言えます。エイゼンシュタイン・スタイルの場合、単に異なったイメージを並べる「アルバム風モンタージュ」になりがちですが、グリフィス・スタイルの場合、マスターカットにサブカットを挿入することで、1つの行為・出来事を多面的な映像世界として再現可能となるのです。例えば、黒澤明の映画における合戦の描き方などは、グリフィス・スタイルを大きく発展させたものであり、観客を長時間スクリーンに釘付けにするのに多大なる効果を発揮しました。今日では、モンタージュ手法の主流はグリフィス・スタイルとなり、エイゼンシュタイン・スタイルは、あくまでサブ的な手法に留まっているのが現状です。

個人的に思うのですが、エイゼンシュタイン・スタイルというのは、観客にとって押しつけがましい感が強くなりがちであり、また、その比喩的な表現手法がいささか見え透いている場合が多い。簡単に言ってしまえば、われわれ観客をスクリーンに注視させ続ける力が足りないように思うのです。現在でもエイゼンシュタイン・スタイルがかろうじて勢力を保っている世界と言えば、ミュージックビデオやテレビコマーシャルなどですが、映像による物語の組み立て方という点においては、あまり影響力を持ち得ていません。もちろん、映画史におけるエイゼンシュタインの功績を否定はできないのですが、現代的価値という点で言えば、ちょっと過大評価し過ぎじゃないの?と感じることがあるのです。

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