[コメント] 戦火のかなた(1946/伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私、事情を全く知らないのだけど、イタリアの第二次世界大戦の構図を、私なりに簡単にまとめておきたい.
1.第二次世界大戦勃発 ムッソリーニ率いるファシスト対、ゲリラを含む市民の対決. イタリア対、アメリカを含む連合軍の戦争.
2.ムッソリーニ降伏、同時にドイツ進駐. ドイツ及びドイツ率いるファシスト対、ゲリラを含む市民の対決. ドイツ及びドイツ率いるファシスト対、アメリカを含む連合軍の戦争.
この映画では、2.のゲリラを含む市民と、アメリカを含む連合軍の関わりが描かれる.描かれるのが戦争全体ではない点と、当時のイタリアの市民、及びゲリラ活動を私は全く知らない点を注意しなければ.
上のまとめを更にまとめると、
1.イタリアとアメリカは敵対関係にあった.けれどもゲリラを含む市民とアメリカは敵対関係ではなかったはず.
2.この映画の背景では、ファシスト対アメリカは敵対関係、そしてゲリラを含む市民対アメリカは、はっきりと身方と言える.
この映画全体を先に見渡すと、アメリカ及び連合軍と、ゲリラを含むイタリア市民の理解、不理解を通して、ゲリラを含むイタリア市民と、ドイツ及びイタリアのファシストの対決の実態を描いている、この様に言っていいのでは.市民レベルの、力にならないような反抗を描き上ていると思えるのだけど.
順に出来事をそのまままとめてみましょう. シチリア島に上陸したアメリカ兵、対する村民が身方なのか敵なのか分からない.分からない中で、一人の娘を道案内に連れて、アメリカ兵は先へ進む.途中でアメリカ兵の一軍と別れ、二人だけ廃墟の城に残ったアメリカ兵と村の娘、片言の言葉で交す会話によって淡い恋が生まれるのだが、アメリカ兵は狙撃によって負傷する.村の娘はアメリカ兵の銃を手に、一人ドイツ兵に立ち向かうのだが、ドイツ兵に撃ち殺される.暫くしてアメリカ兵の一軍が戻ってくるのだが、自軍のアメリカ兵の死体を目にしたとき、村の娘が裏切ったのだと思い込む. 少し詳しく書いたけど、理解と不理解、こう捉えるとき、これでいいと思う.
ナポリ.イタリアの少年がアメリカ兵の靴を、あるいは物資を盗む.これは身方のものを盗んでいるのだけど、けれども、少年が暮らす廃墟、それはアメリカの空爆、あるいは艦砲射撃に寄るものなのだろう.余りのひどさに言葉もなく立ちつくし、黙って立ち去るアメリカ兵.不理解と理解がここにある.付け加えれば、イタリアはドイツに侵略されたのに、アメリカからは侵略者の一員として攻撃を受け、廃墟にされたのだ、こう言ってるのだと思う.
ローマ.アメリカ兵はローマ進駐の日に出会ったイタリア娘を好きになる.半年後、アメリカ兵はそのイタリア娘を忘れられず、ローマの街を探し回るのだが.娼婦に身を落とした娘と偶然再会したアメリカ兵、けれども、娼婦をしなければ生きて行けない、イタリアの市民の実態を理解しようとしない.清らかな心の娘なんだ、こう思いたがるのは分かるけれど.自分を恥じ、ささやかな希望を抱いて街角で待ち続ける娘、理解と不理解が残る.
ジェノバ.街の様子が分からないうちは進軍できないと、街を遠巻きにしたままの連合軍.それに対して、街では、市民とゲリラが連携して、ドイツ軍とファシストを相手に戦っている.アメリカの従軍看護婦と、街に住みゲリラとなって戦う画家の恋愛、そしてその恋人の死は、理解を、街を遠巻きにしたままの連合軍は、不理解を意味すると思う.
北イタリア.アメリカの従軍牧師、それに対するのは、キリスト教でも密教に近い片田舎の寺院の牧師たち.私、宗教は分からない、この話、よく分からないのだけど.イタリアの牧師は、プロテスタントのアメリカの牧師を悪魔とののしる.つまり不理解.けれども、アメリカの牧師の代表は、食事の前に理解を求める言葉を述べる.
ポー川下流域.ゲリラはアメリカ軍と共に、あるいは撃墜されたイギリス機の飛行士を救って、共に戦った.そして地元の村の村民も、それに協力したのだが.けれども、村の住民はドイツに皆殺しにされ、ドイツに捕まったイタリアのゲリラは、国際法上でもなんら保護されることなく、縛られて河に突き落とされて殺害された.ここに描かれる不理解は、アメリカを代表として、全世界に向けられたもの.アメリカ兵かイギリス兵か分からないけど、やめろと、と叫んで撃ち殺される.理解が描かれはするが.
まとめましょう.イタリア市民及び、武器を取った有志のゲリラは、一貫してドイツ及びファシストと戦ったのだが、国際的に観れば、イタリアはドイツの同盟国であり、アメリカを代表とする連合軍の攻撃を受けた.イタリア市民、及びゲリラは、この戦争において、多くの犠牲を払ったが、その闘いは、国際的に観てなんら評価されることがなく、その事がイタリア市民、及びゲリラの闘いを、より悲惨な出来事にした.
不理解、不信、信頼できない、つまり頼りにならない、少し言い換えて、頼りにしてはいけない、こう受け取るべきだと私は思う.
無防備都市でも、この映画でもイタリア人民が敵味方に分かれて戦ったことが、重要だと思う. 無防備都市では、敵味方に分かれて戦ったイタリア人民が、憎しみあうことなく、団結しなければいけないと訴えている. そして、この映画では、アメリカを、連合軍を頼りにしてはいけないのだ、と、言っているのでは.
ユーゴスラビアの民族紛争は未だに終結しない.アフガニスタンも民族紛争がもとで、そこへソ連が介入して、現在に繋がる泥沼に陥った.
つまり、国が割れれば、それが大国が介入する口実になり、再び悲劇が起きる.何よりも大切なのは、国民が団結すること、ロッセリーニはこの様に考えたのだと思う. 二つのドイツ、二つの中国、二つの朝鮮、二つのベトナム、これらの国の例で言えば、第二次世界大戦が終わっても、まだ戦争は終わりはしなかったのですね.
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