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[コメント] SOSタイタニック 忘れえぬ夜(1958/英)

小学生の頃TVでこの映画に出会いタイタニックを知る。タイタニックに関する教科書の様な作品。 渾身の人物解説レビュー →
アルシュ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







■チャールズ・ハーバート・ライトラー(タイタニック号二等航海士)

本作品の主人公。救命ボートへの乗船は常に「女性・子供優先」を前提にしていた。転覆した折り畳み式ボートB号から12号艇に乗りうつる。

→生還。1920年代前半に船から下りたが、生涯冒険への情熱を燃やし続けた。1940年には所有するサウンダウナー号でダンケルクへ向かい、ドイツ空軍の空爆と銃撃をかいくぐって131名のイギリス兵を助けている。1952年死亡。

■エドワード・ジョン・スミス(タイタニック号船長)

茫然自失状態の彼は操舵室に入り込む。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→死亡。

■ジョセフ・グローブ・ボックスホール(タイタニック号四等航海士)

救助信号を船長に命じられて、打ち上げていました。

→生還。救命ボート2号で助かる。1930年キューナード社のアキタニア号の一等航海士を最後に船を下りる。本作では製作協力者に名を列ねている。1963年に死亡するが、彼の遺言どおりタイタニック号の沈没現場に遺灰がまかれた。

■J・ブルース・イズメイ(タイタニック号の船主であり、ホワイト・スター・ライン社の社長)

彼は女性・子供がひとまず救命ボートに乗り終えたのをよいことに、まんまとそのボートに乗り込んで助かる。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→生還。

■トーマス・アンドリュース(タイタニック号を造船したハーランド・アンド・ウルフ社の主任設計者)

彼はタイタニック号の最後まで多くの乗客を救おうと活動を行う。最後は喫煙室に立ちつくしているところを多くの人に目撃されている。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→死亡。

■楽士団(ウォレス・ハートリー率いる8人、ウォレスはモーリタニア号から引き抜かれた。)

最後まで演奏を続けた彼らは後に英雄視された。(『タイタニック (1997/米)』同様)

タイタニック号の楽士団が最後に演奏した曲は「秋 Autumn」か「秋の夢 Songe d'Autumn」であると言われてきたが、これはたった一人二等通信士ハロルド・ブライトの証言によるものだ。その上、どちらも1912年用のホワイトスター汽船の曲集には見あたらないので、大変疑わしい。「主よ御元に近づかん」は楽団長ウイリアム・ハートリーのお気に入り曲としても知られており、数年前まだモーリタニア号に乗っていた頃に「もしも沈没する船のデッキにいたらどうするか」という質問に対し、「船の楽団員を集めて、「主よ御元に近づかん」か「すぎにし昔も、きたる代々も」を演奏する。」といったという。

→全員死亡。

■ベル(タイタニック号機関士長)

機関室にいた背の高いひげを生やしたおじさん。

→死亡。

■ジョン・ジャック・フィリップス(タイタニック号一等通信士)

船長が任を解いても、通信をギリギリまで打ち続けていた。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→死亡。ブライト通信士と別れ、後部甲板に向かう。一旦ボートに乗り込みますが、ボート上で凍死してしまいます。

■ハロルド・ブライト(タイタニック号二等通信士)

船長にカルパチア号の到着が4時間後になると報告したキリッとした人。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→生還。押し寄せる波にのまれ、気付いた時にはひくり返った折畳み式B号ボートの下の空気だまりで息を付く。彼は後に40分以上そのままだったと証言していますが零下2度の水温なので錯覚でしょう。その後12号艇に助けられます。

■ジョーギン(パン焼き主任)

乗客の為に盛んに折り畳みイスを海上に投げ込んでいました。ウイスキーを浴びるように飲んでいましたが、体が温まったのが後に幸いしました。

→生還。 後尾甲板から海に投げ出され、沈没後ボートまで泳ぎ着く。まるでスーパーマンのような方。

■ベンジャミン・グッゲンハイム(パッセンジャー:大富豪。NYのグッゲンハイム美術館は彼の血筋の方の設立)

船が沈みかけ、もはや救命ボートにも乗れないと覚悟した彼は救命胴衣を脱ぎ、夜会服に着替えて紳士らしく死を迎えようとする。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→死亡。

■マーガレット・ブラウン(モリー・ブラウン:パッセンジャー:元々はミズーリー州のまずしい家に生まれ、夫のリードヴァル氏の金鉱探しによって大金持ちとなる。社交界ではモーリーを成り上がりものとして扱っていた。)

映画通り気丈な彼女は救命ボートで指揮を執り、海上に浮かぶ人たちを救いに行こうとする。(『タイタニック (1997/米)』同様)

→生還。この事件後に名実共に社交界にデビューできるようになる。このモーリーを取り上げた「不沈のモーリー・ブラウン」というブロードウェイ・ミュージカルが、タミー・グライミズ主演で公開されました。

■ロストロン(カルパチア号船長) タイタニック号救助に駆け付け、適格な指示を船員に与えます。

705名の遭難者を乗せたカルパチア号でしたが、ホワイト・スター・ライン社のオリンピック号から「なぜタイタニック号の遭難者をオリンピック号に移さないのか」と連絡が入る。しかし、カルパチア号のロストロン船長は乗客を移す際に今一度海上で乗り換えさせねばならないこと、そして忌まわしい「タイタニック号」そっくりの姉妹船「オリンピック号」に乗せねばならないことを考えて拒否をしました。

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何が凄いって、伝えられているこれらのエピソードを積み重ねてこの作品は出来ている。乗客乗員の人数分ドラマが存在する。それがタイタニック。そしてそのシーンが登場する度にタイタノフィル(タイタニックマニア)は鳥肌が立つ。加えてこの時代としては驚愕モノの特撮。★5以外は考えられない。

(評価:★5)

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