[コメント] 肉体と悪魔(1926/米)
キリスト教を否定して邪教を賞賛する物語、ということでいいのだろうか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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この牧師は邪悪にも描かれているだろう。ガルボを認めるなり、汝の敵を愛せの説教の予定を覆して、ダビデの誘惑を語るのは怒りに身を任せているように見えるし、探偵みたいな役割も負っている。悪魔は精神が駄目なら肉体を通じてやってくる、という教説は肯定されてはいるが。
一方、少年時代のふたりのリストカットする血判の儀式は、ついに最後まで批難されず、ふたりの友情は称賛されている。割れた氷にガルボが沈むすごいショットを引き起こす力はすると、キリスト教ではなくてこのリストカットの邪教がもたらしたものなのだ。なんかすごい話である。
ガルボが悪魔という線は一貫しており、その線で強烈なショットがいくつもあった。しかし、彼女が最後に改悛しているのかどうかよく判らないのは作劇の落度だろう。主役三人のうちの二人がもう一人の判らない角度で目くばせする、というショットが繰り返されるのが主題に相応しい。冒頭の結婚式で花束投げ損ねる小母さんのギャグが何か可愛い。
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