[コメント] 襤褸と宝石(1936/米)
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この一貫性は演出家の技術なのか、それとも不器用でワンパターンなだけなのか。ひとつのシークエンスで交わされる会話の抑揚に起承転があり、結をつけないまま次のシークエンスに繋がり、また起承転がある。人物描写もこれに見合った出し入れがリズムよく施される。
ギャグ自体はフツーだが、このリズムの良さで洒落た科白がたくさん並べられて愉しい。例えば「奥様は妖精が見えるのよ」というネタ振りは別に何の展開もないが洒落ている、といった風。ピアニストの発狂やゴリラの物真似は、同時代のマルクス兄弟ものとの類縁性が感じられる(本作はユニヴァーサル、マルクス兄弟はパラマウントとMGM)。
終盤は貴種流離譚というか、執事になった乞食ウィリアム・パウエルは一家の女たちみんなのハートを射止め、それもそのはずハーバード出のインテリでしたと発覚する展開。ハーレクィン・ロマンス系統なのだろう。彼は一家の没落を救い、元いたゴミ捨て場にリゾートを建てる。
この原資が盗んだ宝石元手の株投資、というのはさすがに不味いし、なぜかギャグにもしていない。本邦の戦前には簡易保險局PR映画というのがあって、終盤に「あ、そういえばあの貯金があった保険があった」と難局を乗り越える国策映画なのだが、あちらのほうがまだマシである。株は損することもあるのだから。そもそも、そんなに投資の才があるのなら、ゴミ捨て場で暮らす必要もなかっただろうに。
ゴミ捨て場のバラック住まいの友人たちも心温かく救済されるのだが、ゴミ捨て場自体はどこに移設したのか説明がないのは、ゴミ捨て場の仕事していた者としては片手落ちに見えた。
変わった女たちに囲まれたお父さんのユージーン・パレットは真面目な造形だが、この人はいるだけで面白いという配役の妙。OPは街の電飾をパンで繋ぐもので、30年代には珍しいか。邦題は「つづれとほうせき」と読む。ヘンリー・コスター『いとしの殿方』は本作のリメイクとのこと(原題が同じ)。
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