[コメント] ブレージングサドル(1974/米)
虚業者の自嘲に動機づけられた啓蒙はその知性主義を文系邪念として具体化させ、長尺を持たせるマデリーン・カーンの技術力は男の器質に屈し、殺人マシンらとの邂逅に邪念と啓蒙の落としどころが見出される。
境界知性の群衆を揶揄して成り立つ啓蒙は自壊の危機にさらされているが、与太郎の生理を瞬間を生きる営みとして評価すれば、その解釈は虚業の在り方にまで及ぶだろう。
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