[コメント] サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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近所の住民がお婆さん(八千草薫)に思念波で眠れないと率直な苦情を言ったところでは、主人公(安藤政信)の夢の思念波が飛び捲くっているのかな? だとしたら面白いぞ!と期待したが、夜な夜な勉強する彼の思念波に過ぎないと思われたのが残念。夢だったらどんな思念波が飛ぶか興味深々だし、自分のイビキにビックリして目を覚ます人がいるように、自分の思念波に・・・ ってこともあったりして、と想像が膨らんだ。
また、思いを寄せる彼女(内山理名)と精神科医(鈴木京華)の3人で祭りのデートに行くところでは、通り過ぎる電車の中から彼の思念波が飛んでくるが、思念波は思念「波」と言うぐらいだから波の一種なので、外に漏れる思念は当然ドップラー効果の影響を受けるはずである(街頭演説カーが通り過ぎる時に声域が変わるイメージ)。このほうがリアルだし、動きを感じてよかったと思う。
ところで本作は、自分の考えをそのまま言葉にしてしまう患者・ムイシュキン公爵を描いたドストエフスキーの「白痴」をモデルとしているように思われる。この公爵は人並み外れた人心を読み通す洞察力を持つ「天才」でありながら、包み隠さず言葉に出してしまうことから医学的に「白痴」として分類されてしまう。白痴は単純に言うと馬鹿を意味する。作品中の登場人物も彼をそのように理解することで彼の非礼を許そうと試みる・・・。
一方、本作ではサトラレを「天才」と位置づけている。周りの人は彼を特別な人「天才」として許そうと試みる。これは思い切った設定だと思った。サトラレであることの苦悩は無人島のサトラレ症例1号で描かれていたが、主人公が最後まで「サトラレ」であることに気がつかない設定も意外だった。このような難しい議論を抜きにして、大部分をコメディタッチで描いたことが、ラストのオペで「サトラレ」の思念波がめぐる状況をドラマチックに成しえた大きなポイントだと思う。
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