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[コメント] ニードフル・シングス(1993/米)

原作がクラスター爆弾なら、この映画はネズミ花火程度。憎悪の連鎖反応が街全体に膨れ上がっていく様子が上手く描かれていない為、感じられる狂気や痛みは、せいぜい小さなヤケド並み。全体的に感情描写も弱いし、キング作品映画化の典型的な失敗例。
Pino☆

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 やはり、キングの長編作品は映画化するのが難しい。本作も色々詰め込みはしたが、逆にそれが散漫な表現になり、ドカンとくるインパクトに欠ける作品になってしまった。ただ、原作の長さを考えると仕方のないことなのかもしれない。

 だが、そうは言っても、スティーブン・キング作品愛読者としては、特に不満だったことが2つある。

 1つ目は、キャッスルロックが全く崩壊しなかったこと。原作では最後に、大爆発とともにキャッスルロックは崩壊するが、本作のラストでは、ニードフル・シングスが吹き飛んだだけで、街は完全に原型を留めている。キャッスルロック最後の物語という割には、盛り上がりに欠ける寂しい終わり方だ。

 2つ目は、キング自身もお気に入りのキャラクター、エース・メリルが出てこなかったこと。原作で、街を吹き飛ばす大きなきっかけを作るのは、エースである。彼が出てこなかったことで、後半の狂気と躍動感が生まれなくなってしまった(もし、エースを登場させるのなら、キーファー・サザーランド以外の適任者はいない!)。

 ついでに、もう1つ加えるなら、キャスティングもイマイチだったように思う。特にアラン・パングボーン(エド・ハリス)とリーランド・ゴーント(マックス・フォン・シドー)は原作のイメージとはかなり違った。

 アランは『ダーク・ハーフ』のマイケル・ルーカーの方がイメージに近い。エド・ハリスは見た目に屈強そうなので、重たい苦悩や葛藤を背負っているような印象は全く感じられなかった。一方、ゴーントのマックス・フォン・シドーは見た目が悪人過ぎ。あれでは、住民がニードフル・シングスに惹かれていった説明がつかない。ゴーントは表面的には良い人を装おっておいて、実は内面は悪意に満ちているから、厄介なのだ。ここは、もっと見た目に温厚そうな感じの俳優を起用して欲しかった。

 本作の話とは殆ど関係ないが、最近のキング作品(トム・ゴードンに恋した少女、ドリームキャッチャーなど)を読むと、僅かながらキャッスルロックの話が出ている。どうやら、キャッスルロックは復興を遂げたようだ。

 ということは、ひょっとすると、キングは話の舞台を、また狂気と怪奇現象の渦巻くメイン州の小さな街に移そうとしているのかもしれない。

(評価:★2)

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