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[コメント] アカシアの道(2000/日)

いつか許せるようになるだろうことが許せないけど、許すことが、許さないことにつながるのかもしれないと思った。過去を再演することで、現在を作りだすということ。
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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親から受けた仕打ちも、やがて年を重ねるごとに自分も親も年老いて、記憶は風化していき、親もボケてるし、カワイソウだし、きっといろんなことがあったんだろうな・・だからしょうがないなあ・・とうふうになっていき、だんだんと自分への仕打ちを許していく過程というのがなんか嫌だった。そんなふうに忘れられていくなら、こういう問題は永遠に解決されることはないと思ってた。けども、この映画では、母親を許しながら、許さない、という過程が描かれていると思う。娘は、親ともみ合いになったとき、年老いた親に手を出さなかった。今の母と娘の状態は、ちょうど過去の母と娘の状態であり、それはちょうど過去と今でその立場が逆転している。もし、あのもみ合いの時に暴力を振るっていれば、まさに娘は昔の母親と自分が同じになり、昔の母親を認めること、それはまさに、過去の母親を、過去に自分に犯したことを許すことになる。だからこそ、過去に自分に暴力を振るった母親と同じ行為を自分が行わないことで、過去の母親を「許さない」。そして尚且つ今の母親に手を出さないことで、今の母親を「許す」。それはつまり、今の母親という、まさに過去においての自分の立場の相手に手を出さない、ということで、過去と同じ過ちを繰り返さずに、新しい関係性を作りだすことにつながっているのだと思う。過去を再演することで、現在を作りだす。このように、「許す」ということには「許さない」ことが含まれ、「許さない」ということには「許す」ということが含まれる。このように、映画のあのシーンには、そういう両義的な意味があるが、しかし2つとも「新しい関係性」というものに回収されうる点では、両義的ではないように思う。

(評価:★3)

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